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名古屋城(愛知県)/ホームメイト
「名古屋城」は、尾張徳川家の居城として栄えたお城です。「尾張名古屋は城でもつ」と謳われていたことでも有名で、この一節は「尾張は名古屋城のおかげで繁栄した」ということを意味しています。江戸幕府初代将軍「徳川家康」が天下統一の最後の布石として築いた名古屋城は、当時の技術を結集したお城と言っても過言ではありません。「名古屋城[愛知県]」では、名古屋城の歴史や見どころ、周辺のおすすめ観光スポットを紹介していきます。
名古屋城の歴史
名古屋城の前身

名古屋城の歴史は、戦国時代にまで遡ります。16世紀前半、「今川氏親」(いまがわうじちか)が尾張進出のために築いた「柳之丸」(やなぎのまる)が名古屋城の起源。1538年(天文7年)には、「織田信長」の父「織田信秀」(おだのぶひで)がこの城を奪取し、「那古野城」(なごやじょう)と改名します。その後、織田信長が一時期ここを居城としましたが、1555年(天文24年/弘治元年)に「清洲城」(きよすじょう:愛知県清須市)へ本拠を移したことで、那古野城は廃城となりました。
しかし、江戸時代に入ると状況が一転します。1609年(慶長14年)、徳川家康は尾張藩(現在の愛知県名古屋市)を治める「徳川義直」(とくがわよしなお)の居城として、名古屋に新たな城を築くことを決定。この決定には、木曽川や庄内川を外堀として利用する防衛上の目的もあったとされています。
江戸時代の名古屋城
1610年(慶長15年)、西国諸大名の助役による「天下普請」(てんかぶしん)で築城を開始。天下普請とは、江戸幕府が全国の諸大名に命令して行わせた土木工事事業です。造成・整地には「滝川忠征」(たきがわただゆき)らが任命され、石垣は諸大名が分担して築きました。最も高度な技術を要した天守台石垣は、「加藤清正」(かとうきよまさ)が担当。加藤清正は「築城の名手」と呼ばれる武将で、「熊本城」(熊本市中央区)や「江戸城」(東京都千代田区)の建造にも携わっています。
建築工事が本格化したのは1612年(慶長17年)頃です。同年末に天守、1615年(慶長20年/元和元年)に本丸御殿が完成。城の完成に伴い、清洲から名古屋への大規模な移住「清洲越し」が行われ、5万人を超える住民と多数の社寺が移転し、名古屋城を中心とした新たな都市が形成されていきました。これ以降、江戸時代を通じて、名古屋城は尾張徳川家の居城として繁栄。特に本丸御殿は、将軍の上洛時の宿泊所としても使用され、1634年(寛永11年)の江戸幕府3代将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)訪問時には大規模な増改築も行われています。
近現代の名古屋城
明治維新後、多くの城が取り壊される中、名古屋城はドイツ公使や日本陸軍関係者の尽力により、1879年(明治12年)に保存が決定。1893年(明治26年)には宮内省に移管され、「名古屋離宮」となります。その後、1930年(昭和5年)に名古屋離宮が廃止されると、城は名古屋市に下賜(かし:身分の高い人から低い人に与えること)されました。同年、城内の建造物24棟が国宝(旧国宝)に指定され、国宝第1号の城郭となります。1931年(昭和6年)からは一般公開も開始。しかし、1945年(昭和20年)の「名古屋大空襲」により、本丸御殿や天守、金鯱(きんしゃち)などが焼失してしまいます。
「第二次世界大戦」後、名古屋市は城跡を「名城公園」(めいじょうこうえん)として整備し、焼失を免れた櫓(やぐら)や門、二之丸庭園の一部を補修・保存しました。1959年(昭和34年)には、地元の尽力と全国からの寄付により、天守が鉄筋コンクリート造で復元。再建された金鯱とともに名古屋のシンボルとなりました。21世紀に入ると、名古屋城の復元事業が本格化。2009年(平成21年)には本丸御殿の復元工事が始まり、さらに2013年(平成25年)からは天守の木造復元計画が進められました。
名古屋城は、戦国時代の要塞から、江戸幕府の権威を象徴する城郭へと進化を遂げ、さらには近代の災禍を乗り越えたお城として今なお健在です。名古屋城の歴史は、日本の城郭の変遷を如実に物語っています。
名古屋城の見どころ
天守と金鯱
名古屋城の天守は、大天守と小天守を橋台で連結した壮大な連結式層塔型の構造です。大天守は5層5階、地下1階で、高さは55.6m。江戸時代に現存した天守の中で最も高く、424.5㎡にも及ぶ延べ床面積も史上最大級を誇ります。
天守閣の頂を飾り、権力の象徴として君臨する金鯱も名古屋城の特徴。現在の金鯱は1959年(昭和34年)に復元された物です。北側の雄と南側の雌があり、いずれも高さ約2.6m、重さ約1.2t。18金のウロコで覆われた華麗な姿は、名古屋のシンボルとなっています。
本丸御殿

名古屋城の本丸御殿は1615年(慶長20年)、尾張藩の中枢施設として建設されました。日本の伝統建築を代表する書院造(しょいんづくり:書院[書斎]を中心とする武家住宅の建築様式)の傑作とも言われ、その卓越した建築技術は近世城郭御殿の最高峰と称されます。もともとは城主の住まいとして使われていましたが、1620年(元和6年)に改修され、以降は徳川将軍が上洛する際の施設として使用されました。
本丸御殿は、昭和時代初期に国宝に指定されるものの、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に空襲を受けて焼失。しかし、幸いにも江戸時代に作成された詳細な図面や史料が残されており、それをもとに長年にわたる綿密な調査と復元作業が行われました。
2018年(平成30年)には、約400年の時を経て、本丸御殿は当時の華麗な姿を取り戻します。金箔や彩色を施した豪華絢爛な内装、精巧な彫刻が施された建具など、細部まで見事に再現されました。今日では、江戸時代の最高水準の技術と美意識を現代に伝える、貴重な文化財となっています。
石垣

石垣も名古屋城の見どころのひとつです。本丸や二之丸を囲む石垣の総延長はおよそ8.2㎞。西国の20の大名家によって築かれ、石には担当を識別するための記号が刻まれています。
最も重要な天守台の石垣を担当したのは、加藤清正です。2万人の人員を連れて熊本から訪れ、わずか3ヵ月という短期間で工事を完了させたと伝えられています。
石垣の中でも、ひときわ目を引くのが「清正石」(きよまさいし)と呼ばれる巨石です。本丸搦手枡形(ほんまるからめてますがた)の石垣は、もともと福岡藩(現在の福岡県福岡市)初代藩主「黒田長政」(くろだながまさ)の担当でしたが、あまりに石が大きかったため、名手の加藤清正が積み上げたことから、この名が付きました。その重さは約10tと推定されています。他に、加藤清正が石の運搬を指示する姿を描いた「清正公石曳きの像」も見どころのひとつです。
名古屋城周辺の観光スポット
刀剣ワールド名古屋・丸の内 別館

名古屋城から約15分歩いたところにある「東建コーポレーション」本社丸の内ビルの1・2階には「刀剣ワールド名古屋・丸の内 別館」(名古屋市中区)があります。「名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館」(名博メーハク)の開館に先駆け、2017年(平成29年)にオープンした入館無料の博物館です。
館内では、一般財団法人「刀剣ワールド財団」が所蔵する日本刀をはじめ、甲冑、槍、薙刀(なぎなた)、火縄銃などの武具のほか、屏風や浮世絵、櫓時計(やぐらどけい)など、歴史的な美術品の数々を展示。2階の展示室では、日本刀の歴史や日本刀の作り方を知ることができるVTRも鑑賞することができ、日本刀への知識を深められます。
展示品は刀剣ワールド財団が所蔵している美術品の中から不定期で取り替えられている他、定期的に特別展も開催。美術的にも価値の高い品々を、ゆっくりと無料で見学することができます。
徳川園

名古屋市東区に位置する「徳川園」は、江戸時代に尾張徳川家が築いた歴史ある庭園です。1695年(元禄8年)、尾張藩2代藩主の「徳川光友」(とくがわみつとも)が隠居所として造営した「大曽根屋敷」が起源。約2.3haにも及ぶ広大な園内には、日本の豊かな自然風景を凝縮したような景観が広がります。
園の南西にある黒門は、1900年(明治33年)に完成した尾張徳川家の邸宅の遺構です。2014年(平成26年)には、有形文化財に指定。空襲を免れた貴重な文化財として武家屋敷の面影を今に伝えています。
園内にある「徳川美術館」では、尾張徳川家に伝わる「大名道具」などを展示。徳川家康の遺品も多く、国宝に指定されている美術品など貴重な品々を観ることができます
名古屋テレビ塔

「名古屋テレビ塔」は、1954年(昭和29年)に完成した電波塔です。観光と電波発信の2つの目的で建設された名古屋テレビ塔は、歴史的価値と美しさが認められ、2005年(平成17年)に全国のタワーでは初となる国の登録有形文化財に指定。2013年(平成25年)には、日本夜景遺産にも認定されました。
名古屋テレビ塔にある展望台は2つ。地上90mにある360度ガラス張りの屋内展望台「スカイデッキ」では、天井と足元に設置されたミラーに外の景色が映り込み、万華鏡のような世界を堪能できます。一方、地上100mの「スカイバルコニー」は屋外展望台。爽やかな風を感じながら、伊勢湾や中部山岳までのパノラマビューを楽しむことができます。
2020年(令和2年)の大規模リニューアルでは塔内が刷新され、4・5階にはホテルも併設。2021年(令和3年)5月からは、ネーミングライツ(命名権)により「中部電力 MIRAI TOWER」(ちゅうぶでんりょく ミライタワー)となりました。
