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大阪城(大阪府)/ホームメイト
太閤秀吉の城として知られる「大阪城」は、国の特別史跡にも指定されている名城です。「豊臣秀吉」によって築城が始まったのは1583年(天正11年)のこと。1620年(元和6年)には、徳川家による再建が開始されました。現存する大阪城天守は3代目で、大阪城に関する逸話は枚挙にいとまがありません。「大阪城(大阪府)」では、大阪城の歴史や見どころ、周辺の観光スポットについて解説していきます。
大阪城の歴史
豊臣秀吉の城として誕生

大阪城は、安土桃山時代に築かれ、江戸時代に再建された歴史的に重要な城郭です。現在の大阪市中央区に位置し、「大阪城跡」として国の特別史跡に指定されています。
大阪城は、1583年(天正11年)に豊臣秀吉が築城を開始。以降、豊臣氏の本拠地となりました。築城にあたって、豊臣秀吉は小豆島から石材を調達し、4期に分けて城の建設を進めたとされています。第1期で本丸、第2期で二の丸、第3期で総構え(そうがまえ:三の丸)、第4期で馬出曲輪(うまだしくるわ)と大名屋敷を整備しました。馬出曲輪とは、城の出入口である虎口(こぐち)を守る小さな曲輪(石垣や塀などで囲んだ区域)です。
1598年(慶長3年)の豊臣秀吉の死後、豊臣家は大阪城を拠点として存続しましたが、1614~1615年(慶長19~20年)にかけて起こった江戸幕府と豊臣家の戦い「大坂の陣」では、大阪城が戦の舞台となり、豊臣家は徳川家に敗れ滅亡しました。
徳川の再建
豊臣氏が没落すると、大阪城は徳川家の支配下に入り、1620年(元和6年)から江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)によって大規模な再建工事が行われます。工事は3期9年にわたり、1629年(寛永6年)に完成。再建された大阪城は徳川将軍家の直轄となり、大阪城代(おおさかじょうだい:大阪城の防衛や西国諸大名の監視を担った江戸幕府の役職)が城を預かる形で西日本支配の拠点となりました。
再建された大阪城は、城郭の面積こそ豊臣時代の5分の1に縮小されたものの、時の将軍・徳川秀忠は、堀と石垣を旧城の2倍にするよう指示。これにより、石垣や天守閣の高さは豊臣時代の城より大きなものとなりました。以降、大阪城は江戸時代を通じて日本最大の城郭として江戸幕府の威信を示し続けたのです。
しかし、高さ58mを誇った高層天守閣も1665年(寛文5年)の落雷で焼失。再建からわずか39年のことでした。さらに、1783年(天明3年)の落雷では、多聞櫓(たもんやぐら:長屋状の櫓)が焼失します。そして、「鳥羽・伏見の戦い」(旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争[ぼしんせんそう]の初戦)で旧幕府軍が敗北。総大将として大阪城内にいた「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)が脱出した直後には火災が発生し、多くの建造物が焼け落ちてしまいました。
近現代
明治時代に入ると、大阪城の敷地は陸軍用地として利用されるようになります。1928年(昭和3年)、当時の大阪市長「關一」(せきはじめ)が天守再建を含む「大阪城公園」整備事業を提案。大阪市民の募金によって1931年(昭和6年)に復興天守が完成しました。豊臣時代の天守を想像して鉄骨鉄筋コンクリート構造で復元され、現在も大阪の歴史と文化を学べる博物館施設として一般公開されています。なお、1945年(昭和20年)8月14日に起きた「大阪大空襲」で城内の多くの建造物が被害を受けましたが、復興天守は破壊を免れました。
「第二次世界大戦」後、1953年(昭和28年)から本格的な補修事業が始まり、大阪城跡は国の特別史跡に指定。1959年(昭和34年)には、地下から豊臣時代の石垣が発見され、城の歴史的価値がさらに高まっていきました。1983年(昭和58年)の「大阪築城400年まつり」の開催や、JR大阪環状線「大阪城公園駅」の開設など、観光地としての整備も進んでいきます。
平成時代に入っても断続的に改修作業が行われ、2006年(平成18年)には、「公益財団法人日本城郭協会」が提唱する「日本100名城」に選定されました。2017年(平成29年)には、天守閣の入館者数が1億人を突破。現在の大阪城は、江戸時代初期から後期にかけて建てられた櫓や門、蔵など13棟の建物が現存しており、内堀と外堀も残っています。
大阪城の見どころ
徳川大阪城の石垣に建つ「太閤さんのお城」
現在の天守閣は3代目の天守です。天守閣復興にあたって参考にされたのは、「大坂夏の陣図屏風」(おおさかなつのじんずびょうぶ)に描かれた豊臣大阪城の天守。この屏風は、「大坂夏の陣」に参戦した初代福岡藩(現在の福岡県福岡市)藩主「黒田長政」(くろだながまさ)が戦の様子を描かせた物で、城の姿を最も正確に描写した作品のひとつと考えられています。大阪城は豊臣家と徳川家の2種類存在しますが、再建当時の大阪の人々にとって大阪城と言えば「太閤さんのお城」。このような背景もあり、豊臣時代の天守が再建されたのです。
しかし、再建から約30年後の1959年(昭和34年)、現存する石垣が徳川時代の物であることが発覚します。その際に大阪城の大規模な発掘調査が行われ、地下に埋もれていた謎の石垣が発見されたのです。豊臣大阪城の石垣は、こちらであることが分かりました。
徳川時代の大阪城と豊臣時代の大阪城では、天守の大きさが格段に違います。このため、大坂夏の陣図屏風と比べると、復元天守は全体的に横に広がったフォルムになっているのが特徴です。大阪城を訪れた際は、「徳川大阪城の土台と豊臣大阪城の天守閣」という視点で見学してみてはいかがでしょうか。
「石垣」と「堀」

大阪城には、江戸時代の遺構として、各種櫓や石垣、水堀(深く掘った堀に水を引き入れた物)が現存。なかでも、徳川秀忠が「旧城の2倍に」と命じた石垣と堀は見どころです。水堀は、幅が広いほど防衛能力が上がると言われていますが、大阪城の水堀は日本屈指の幅の広さ。石垣の高さと相まって強固な防衛線となりました。
また、「屏風折」(びょうぶおり)と呼ばれる屏風のようにジグザグした折れを設けた石垣も特徴的。折れのない石垣を攻められた場合、正面からしか迎撃できませんが、折れを設けて張り出した部分を造ることにより、横方向から弓を射かけることができるのです。
桜門と左右の巨石

大阪城の桜門は高麗門(こうらいもん:鏡柱[本柱]2本と控え柱2本から成る門)形式の城門で、枡形の虎口を持ち、重厚な鉄の扉が特徴的です。雨よけの屋根が両側に取り付けられており、門の左右には「竜石」(たついし)、「虎石」(とらいし)と呼ばれる巨石を配置。江戸時代、雨が降るとこの石が竜と虎の姿に変わるという逸話がありました。
これらの巨石と桜門、そして背景の天守閣が織りなす景観は、大阪城を代表する風景としても有名。門の構造には明治時代の修復の痕跡も見られ、歴史の重層性を感じさせます。
大阪城周辺の観光スポット
豊國神社

大阪城公園内に鎮座する「豊國神社」(ほうこくじんじゃ)は、豊臣秀吉、「豊臣秀頼」(とよとみひでより)、「豊臣秀長」(とよとみひでなが)を祀る神社です。
見どころのひとつは、豊臣秀吉の銅像。高さ5.2mの堂々たる像は、文化勲章を受賞した彫刻家「中村晋也」(なかむらしんや)氏の作品です。1903年(明治36年)に建立されましたが、1943年(昭和18年)の「金属回収令」(軍需生産の原料となる金属類の供出を定めた法令)により一時失われてしまいます。そこから約60年の時を経て、2007年(平成19年)に再建されました。
さらに、「秀石庭」(しゅうせきてい)と呼ばれる石庭(せきてい/いしにわ:石や岩を配置して造られた庭)も見どころ。豊臣秀吉の「秀」と大阪城地の古名である「石山」から「石」を取って名付けられました。大阪の繁栄が海とのかかわりに根ざしていることから、秀石庭では草木を用いずに海を表現した景観が造り出されています。
大阪歴史博物館
大阪市中央区にある「大阪歴史博物館」は、2001年(平成13年)に開館した市立博物館です。1960年(昭和35年)に開館した「大阪市立博物館」の精神を引き継ぎ、市民に親しまれる博物館として10万点以上の文化財や遺物を保存・展示しています。
常設展示は、「都市おおさか」がテーマ。10~7階まで下りながら大阪の歴史を体感できます。古代の世界を紹介する10階から始まり、9階では室町時代から江戸時代の大阪の町並みを再現。発掘現場を原寸大で再現した8階では、資料や道具を使ったワークショップを実施しています。7階では、大正時代末期から昭和時代初期にかけて、大阪が大大阪(だいおおさか)と呼ばれていた時代を紹介。工業や商業が栄え、世界有数の都市へと成長した軌跡を学ぶことができます。
大阪天満宮
「大阪天満宮」は、大阪市北区に鎮座する歴史ある神社です。その起源は650年(白雉元年)まで遡り、当初は「大将軍社」(だいしょうぐんしゃ)として都の西北を守る神を祀っていました。その後、901年(延喜元年)に「菅原道真」(すがわらのみちざね)がこの地を訪れ旅の無事を祈願。菅原道真が亡くなった約50年後の949年(天暦3年)、大将軍社の前に一夜にして7本の松が生え、夜ごと梢(こずえ)を光らせました。それを聞いた62代「村上天皇」(むらかみてんのう)が、この地に社を建立し、菅原道真の御霊(みたま)を祀ったのです。
大阪天満宮は、毎年7月24~25日にかけて行われる「天神祭」(てんじんまつり)が見どころのひとつ。天神祭は、「祇園祭」(ぎおんまつり:京都)、神田祭(かんだまつり:東京)と並ぶ日本三大祭のひとつに数えられ、特に25日夜に行われる船渡御(ふなとぎょ:みこしを船に載せて川などを下る神事)と花火は圧巻です。大川に映るかがり火や提灯の光、花火の華やかさから「火と水の祭典」とも呼ばれています。
大阪天満宮は、地元では親しみを込めて「天満の天神さん」と呼ばれ、学問成就や商売繁盛の御利益を求めて、年間を通じて多くの参拝者が訪れる大阪の象徴的存在です。
道頓堀

「道頓堀」(どうとんぼり)は、大阪市中央区に位置する日本を代表する繁華街。1612年(慶長17年)に私財を投じて川を開削した「成安道頓」(なりやすどうとん)が名前の由来です。
この地域は、日本橋から大黒橋にかけての道頓堀川南岸に広がり、特に戎橋(えびすばし)以東は江戸時代から芝居町として栄えてきました。今日でも、南側に娯楽施設、北側に飲食店が集中しており、その構造は当時の名残を留めています。
道頓堀は、この地域を象徴する巨大なグリコサインをはじめ、かに道楽道頓堀本店、くいだおれビルなど、独特の看板やネオンサインが特徴。また、「とんぼりリバークルーズ」では川から町並みを楽しむことができ、新たな観光の魅力となっています。
通天閣
大阪を代表する観光名所「通天閣」は、大阪市浪速区(なにわく)の新世界に位置する、高さ108mの展望塔です。1912年(明治45年)に初代が建設され、現在の2代目は1956年(昭和31年)に再建されました。2007年(平成19年)には登録有形文化財に指定され、歴史的価値も認められています。名称の「通天閣」は、「天に通じる高い建物」を意味し、明治時代の儒学者「藤沢南岳」(ふじさわなんがく)によって命名されました。
地上88mの高さにある展望台からは、大阪市内を一望でき、晴れた日には淡路島や和歌山まで見渡すことができます。また、5階展望台に鎮座する「ビリケンさん」も通天閣の名物。にこやかな表情と前に投げ出した両足が特徴的で、足の裏をなでると幸せになれるという言い伝えがあります。
天王寺動物園
「天王寺動物園」は、1915年(大正4年)に開園した歴史ある動物園です。約11haの広大な敷地で約170種1,000点の動物を飼育し、国内屈指の規模を誇る動物園として親しまれています。
天王寺動物園は、自然に近い形で動物が暮らす様子が見られる「生態的展示」が特徴。「ペンギンパーク&アシカワーフ」や「アフリカサバンナゾーン」などでは、動物本来の生息環境が再現されています。また、食事風景を観察できる「ごはんタイム」や、夜間限定の「ナイトZOO」(ナイトズー)は、いつもとは違う動物達の一面を見られるのが魅力。他に、スタッフによるガイド付きの観察会など、動物への理解を深められるプログラムも充実しています。
