滋賀県 の観光スポット・旅行(571~600施設/1,507施設)
滋賀県の観光スポット・旅行・レジャーを一覧でご紹介します。「旅探たびたん」では、滋賀県にある観光施設の所在地の他に、皆様から投稿頂いた情報を一覧にて表示。施設名をクリックすると観光スポット・旅行・レジャーの詳細情報はもちろん、目当ての観光施設周辺の情報を確認することができます。滋賀県で観光・旅行したい方におすすめです。観光スポット・旅行・レジャー一覧は、①アクセス数、②動画、③写真、④口コミの多い順に掲載しています。
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関西地方
- 滋賀県の観光スポット
- 1,507施設
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HIS アバンティ&オアシス 草津店/ HIS185店舗
所在地: 〒525-0025 滋賀県草津市西渋川1-23-3 エイスクエアSARA東館2階
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- JR草津駅から徒歩2分のところにある旅行会社です。最近新しくできた店舗なので、内装がとにかく綺麗です。海外旅行を主に扱っているので、店内が海外仕様になっていて、まるで海外にいるような感覚になりました。オススメの旅行会社の一つです。
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先人を偲ぶ館
所在地: 〒529-1161 滋賀県犬上郡豊郷町四十九院815
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- 豊郷町四十九院にあるこちらの施設は、旧豊郷尋常高等小学校の敷地を利用しています。展示内容は伊藤忠兵衛・古川鉄次郎・薩摩治兵衛ら、豊郷町ゆかりの近江商人の業績を称えるものとなっています。 また同じ敷地内に国の登録有形文化財である豊郷尋常高等小学校の本館が残っており、2019年5月に改修が完了して『薩摩治兵衛記念館』としてオープンしました。治兵衛は金巾(カナキン)という綿織物の輸入で財を成した近江商人で、尋常高等小学校の建設資金として多額の寄付をしたことでも知られています。 豊郷町のみならず、日本経済の礎となった先人達の偉業に思いをはせることができる施設です。
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柏原宿歴史館
所在地: 〒521-0202 滋賀県米原市柏原2101
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JR東海道本線「柏原駅」から「柏原宿歴史館」まで 徒歩6分
伊吹山ドライブウェイ「伊吹山ドライブウェイ料金所(IC)」から「柏原宿歴史館」まで 5.7km
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- 旧街道だった中仙道の宿場町だった柏原にある資料館です。 今も昔ながらの風情を感じる町並みが残っています。この歴史館は大正6年に建てられた旧松浦久一郎邸を改築してできたものだそうです。館内には喫茶「柏」も営業されていて軽食を取ることができます。館内のビデオシアターには国の天然記念物である源氏ボタルも紹介されていますよ。
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柏木神社
所在地: 〒528-0057 滋賀県甲賀市水口町北脇189
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- 柏木神社は、社伝によれば白鳳時代の創建で、かつては「若宮八幡宮」と呼ばれていたそうです。祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)」と「誉田別命(ほむたわけのみこと )」で、厄除け・病気平癒・芸能方面の御利益があるとされ、また、伊勢神宮の荘園である「柏木御厨(かしわぎのみくりや)」の惣社として古くから信仰を集めてきました。 柏木神社には、中世の自治組織である同名中(どうみょうちゅう)・群中惣(ぐんちゅうそう)の活動の記録が伝わっており、甲賀衆の集結場として地域結束の場であったことがうかがい知れます。 また、柏木神社の見どころの一つである楼門ですが、元々の楼門は、天正8年(1580年)に織田信長に攻められた際、安土城内の摠見寺(そうけんじ)へ移築され、二王門(におうもん、国の重要文化財)として現存しています。柏木神社の現在の楼門は日野町中山:金剛定寺(こんごうじょうじ)から移築されたものだそうです。 甲賀衆結束の歴史を体感できる神社へ、ぜひ一度お越し下さい!!
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御沢神社
所在地: 〒527-0086 滋賀県東近江市上平木町1319-1
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- 御澤(おさわ)神社は社伝によると、推古天皇12年(604年)、聖徳太子により創建されたとのことです。主祭神は水の神である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)で、五穀豊穣・商売繁盛・交通安全等の御利益があると言われています。 御澤神社境内には、近江の名水と名高い「神鏡水」と呼ばれる水源があり、無病息災の御利益を求め、水を汲む人たちでいつも賑わっています。その昔、聖徳太子がこの辺りの荒れ地を開墾した際、日照りのときも決して枯れることがなかったと伝わる水源です。それゆえ、御澤神社は、古くから雨乞(あまごい)の御利益でも有名でした。 参道を奥に入りますと、朱色の鮮やかな拝殿が見えてきます。拝殿の内部も朱色の柱に、エメラルドグリーンの天井格子の中に「稲妻」の神紋が描かれており、独特な雰囲気を醸し出しています。 境内庭園には有名な藤棚があり、藤の季節には多くの見物客で賑わいます。また、3つの池を回遊しながら、季節の花々を愛でることができ、七福神の石像など、趣向を凝らしたモニュメントも多数あります。 まるでテーマパークのような御澤神社へ、ぜひ一度お越し下さい!!
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五箇神社
所在地: 〒529-1404 滋賀県東近江市宮荘町767
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- 五箇(ごか)神社の主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと) ・品陀和気命(ほんだわけのみこと)・大穴牟知命(おおあなむちのみこと)の6柱です。その歴史は古く、嘉応・承安(平安末期)の年号の入った宝器が伝わっているので、少なくともそれ以前の創建と考えられています。かつては五箇の森に東西2殿の本殿が鎮座する、五個荘(ごかしょう)内の総社であり、「五個荘」の荘号の由来とされている、由緒ある神社です。 春の例大祭(五箇まつり)では、安政4年(1857年)完成、高さ3.8m、長さ8.45m、幅1.8m、担ぎ手およそ80人を擁する日本最大級の神輿と、長浜型と呼ばれる芸舞台付き曳山の渡御(とぎょ)が執り行われ、勇壮なその様を見ると、五箇神社が地元の方々の結束のシンボルとなっていることが分かります。 天保10年(1839年)建立の本殿と、文化6年(1809年)建立・明治15年(1882年)増築の拝殿は、それぞれ令和元年に県指定有形文化財となっており、祭りの迫力と共に建物も楽しめる、見どころ満載の神社です。
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毛知比神社
所在地: 〒520-2276 滋賀県大津市里5丁目7-20
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「「岡の平」バス停留所」から「毛知比神社」まで 徒歩22分
京滋バイパス「石山IC」から「毛知比神社」まで 3km
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- 毛知比神社は、滋賀県大津市里五丁目交差点の北側に位置します。 県道108号線(南郷桐生草津線)を里五丁目交差点に向かって登り坂を南進すると里自治会館を過ぎてすぐ左側(東側)に毛知比神社へ向かう階段で境内に入ることが出来ます。 反対側の、里五丁目信号から北上する方向からはスロープで上がる事も出来ます。 里五丁目側には車を停めるスペースも有ります。 造営されたのは奈良時代に遡ると云われています。 滋賀県神社庁が調査した社伝によれば、天平宝字元年(757年)に瀬田の建部大社の別宮として創建され、翌年に遷座されたと伝えられています。 祭られている神様は日本武尊(やまとたけるのみこと)と保食神(うけもちのかみ)であり、特に日本武尊を主祭神としています。 日本武尊は武勇の神として有名です。 勝利や決断力のご利益があると云われています。 保食神は食物や農業の神で五穀を司どる神としてお祀りされています。 豊作や商売繁盛を願う信仰が有ると伝えられているようです。 社名の「毛知比(もちひ)」は、地元の人々が神供に餅を奉ったことから「餅宮」と称されたことに由来すると大津市の公式ウェブサイトに記載されています。 現在の社殿は天正18年(1690年)に焼失した後、延宝4年(1676年)に再建されましたと伝えられています。 毛知比神社には更に南側にあるもみじが丘という住宅地(里六丁目、七丁目)の中に分社として山の神のお社が有ります。 今は東急不動産が開発した全部で500戸ほどのもみじが丘という住宅地になっていますが以前は山の中だったと思われます。 毛知比神社はゴールデンウィーク中の5月5日に例大祭が執り行われ里町内をめぐるおみこしを繰り出すお祭りが有ります。 大人が担ぐおみこしだけでなく子供みこしも繰り出します。 また山の神のお社が有るもみじが丘も子供みこしを繰り出しています。 境内にはおみこしを保管する立派な建屋も有ります。 古い歴史がある毛知比神社ですが、古くからある里町以外にも30年位前に出来た複数の新しい住宅地の住人も初詣によく訪れていて地域に馴染んだ神社となっています。
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- 筒井神社の主祭神は、宇佐八幡神(応神天皇)と、惟喬(これたか)親王です。 惟喬親王は、文徳天皇(在位850年〜858年)の第一皇子でありながら、皇位継承から外され、都落ちした先々で数々の伝説となり、貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)の典型として描かれることが多い人物です。親王は奥永源寺地区に居を構え、轆轤(ろくろ)を使って椀や盆、こけし等を製作する技術を開発し、広めた人物として全国の木地師(きじし=轆轤を用いた木工職人)から崇敬を集めてきました。 筒井神社に伝わる「氏子狩帳」(県指定民俗文化財)は、正保4年(1647年)から明治26年(1893年)に至る35冊で、北は秋田・山形、南は宮崎・熊本まで、筒井神社に帰依した木地屋の所在地が記されており、貴重な史料であると同時に、良木を求めて各地を転々とする木地屋に、様々な免許を与えることで便宜を図り、信仰を広めていった様子が伺えます。 奥永源寺の大自然の中にたたずむ筒井神社を訪れ、森の中で培われた伝統工芸に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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- 大森神社の祭神は、安産・子育て・縁結びの御利益があるとされる玉依姫命(たまよりひめのみこと)と、五穀豊穣・事業開運・交通安全等の御利益があるとされる猿田彦命(さるたひこのみこと)です。社伝によれば、天智天皇2年(663年)に勧請された八幡宮を母体とし、のち安元2年(1176年)に十禅師(じゅうぜんじ)大権現を勧請されたとのことです。 大森神社には、「九門座」・「平尾座」・「助座」という三座からなる「宮座」が存在し、専任の神職を持たず、地元の方々によって構成される宮座によって神事が執り行われています。 また、「最上踊」と呼ばれる春祭の踊りは、宮座行事と合わせて県選択の無形民俗文化財となっています。この踊りの起源は中世の風流踊りにまでさかのぼるといわれ、近江猿楽座・下三座の「大もり座」の踊りにあたるとする説もあります。 大森領主の最上氏により寄進された鐘楼も現存しており、大変見ごたえある神社ですが、春祭では地元の方々によって伝統が継承されていく様がみられ、いにしえに想いを馳せることが出来ます。歴史好きな方にはぜひ一度訪れて頂きたい神社です。
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- 大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)は、文徳天皇(在位850年-858年)の第一皇子でありながら、皇位に付くことが出来ず、都落ちしてこの地で薨去(こうきょ)したとされる、小野宮惟喬(おののみやこれたか)親王を祭神とする神社です。 社伝によれば、寛平9年(897年)に親王が薨去されると、明けて寛平10年に神殿を造営、親王の神霊を鎮座し、時の天皇より「大皇大明神(おおきみだいみょうじん)」の社号を賜ったのが当社の起源とされています。 古来、当地は「小松村畑」と呼ばれていましたが、親王が入山され、高松御所という御殿での生活を始められると、現在の「君ヶ畑」に改称したと言われています。 親王は、轆轤(ろくろ=回転体により、椀や盆など丸い道具を削り出すための器械)を自ら発明し広めたとされ、日本全国の木地師(きじし)たちの崇敬を集めました。 古今集に収められた惟喬親王の和歌「桜花散らばちらなむ散らずとてふるさと人の来ても見なくに(桜花よ、さっさと散ってしまえ。散らず残っていても郷里の人が見に来てくれるわけもない)」は、皇位争いに敗れ、病で出家した頃の心情を詠んだものと言われています。 また、『伊勢物語』には、惟喬親王と、主人公:在原業平の交流も描かれており、業平は「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(この世に桜の花が一切なかったら、春の人の心は穏やかだったろうに)」と、華やかな都の生活から離れざるを得なかった、親王の心情に寄り添う歌を詠んでいます。 当地には、全国の木地屋(椀・盆・こけし等の製造販売者)へ、儀式料等の寄進を募って回った記録である「氏子狩帳」が残されており、県指定有形民俗文化財とされています。元禄7年(1694年)から明治にかけての記録で、北は羽前(山形県)・岩代(福島県)、南は日向(宮崎県)まで、広範囲に渡っています。 奥永源寺の壮麗な景観にひたりながら、惟喬親王という人物を軸に展開される、幾重にも重なった歴史を楽しめる施設です。
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- 毎年4月14日、15日に行われる八幡まつりは1000年以上の歴史があるまつりです。始まりは西暦275年に近江を訪れた応神天皇が、現在の日牟禮八幡宮へ参拝される際に、琵琶湖湖岸の南津田にある7軒の家が松明(たいまつ)を作り、火を灯して道案内をしたのではないかと伝えられています。 八幡山城城主であった豊臣秀次が八幡町を開町する前からある、旧村落十二郷の氏子によって行われています。14日は宵宮祭と呼ばれ、各郷のヨシと菜種ガラを材料にした松明が奉納され、その松明を奉火するもので、10メートルの大きさを超える松明もあります。14日の朝には上ノ郷と下ノ郷の代表者によって笹竹を材料にした大松明結いが日牟禮八幡宮の境内にて行われます。夜は大太鼓と鉦をならしながら各郷が宮入りをし、打ち上げ花火を合図に古来の順序により次々と松明に奉火します。引きずり松明やとっくり松明、振り松明、船松明などさまざまな松明もあり、壮大な火柱となりそのスケールは圧倒的です。 15日の本祭、大太鼓まつりでは各郷を大太鼓を担ぎ練り歩き、日牟禮八幡宮の桜門を目指します。夕方ごろから宮入りをして、拝殿の前で大太鼓を差し上げ、神職や神役などからの祝詞を受けます。大太鼓の振動がカラダの芯まで響き渡り、大太鼓を若衆が担ぐ姿が印象的です。 実は私の住んでいる町が旧村落十二郷の下ノ郷にあたり、子どものときから父が大太鼓を担ぎ、叩く姿を見てきました。いつか自分も歴史あるこの八幡まつりに参加したいと、ずっと思っていました。大人になり実際に参加してみると、松明結いの大変さ、太鼓を組み立てる大変さを知りました。初めて見る結び方や初めて聞く言葉がたくさんあり、その言葉を使い器用に結んでいる父や近所のおっちゃんをとてもかっこよく感じました。 まつり当日は屋台や出店もあり、子どものときはそれを目当てでお小遣いをもらい、友達や家族と行っていたことも思い出します。
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