和歌山県
粉河寺庭園
- 寺社・寺院庭園
- 近世/江戸
和歌山県紀の川市粉河にある「粉河寺庭園」(こかわでらていえん)は、粉河観音宗の総本山「粉河寺」にある庭園。粉河寺は近畿地方を中心に点在している、観音を巡礼する霊場「西国三十三ヶ所」のひとつでもあります。本堂前に造られた粉河寺庭園は、巨石のみで構成されたダイナミックな姿が特徴。水を使わずに石組で滝を表現した、迫力ある庭園は見ごたえ抜群です。今回は、そんな粉河寺庭園について詳しくご紹介します。


粉河寺庭園の施設概要

粉河寺庭園は、粉河寺境内に造られた庭園。粉河寺は、奈良時代末期の770年(宝亀元年)に開創されました。開祖となったのは、「紀伊国」(きいのくに:現在の和歌山県、三重県南部)那賀郡に住む漁師「大伴孔子古」(おおとものくじこ)です。粉河寺の草創に関しては、国宝「粉河寺縁起絵巻」(こかわでらえんぎえまき)によって伝えられています。
絵巻によると、粉河寺の始まりは大伴孔子古が不思議な光を発する場所に建てた小さな庵から。ある日、大伴孔子古の家に宿泊した「童行者」(子供の修行者)が、宿泊のお礼としてこの庵に千手観音像を作りました。これを大伴孔子古が大切に祀ったのが粉河寺の起源とされます。逸話としての信ぴょう性は不明ですが、粉河寺は平安時代には朝廷や貴族の庇護を受けて栄え、平安時代後期には西国三十三所観音霊場巡りにおける、札所のひとつとなっています。鎌倉時代には大勢の僧兵と550の子院を擁する大寺院に。当時の寺領は4km四方もあり、その石高は約4万石と言われています。
1573年(天正元年)、戦国時代の動乱が続く中、粉河寺は境内南にある山に「猿岡山城」(さるおかやまじょう)を築いて防衛を図りましたが、1585年(天正13年)に「豊臣秀吉」による紀州征伐で焼失。全山が焼けただけでなく、堂塔伽藍(どうとうがらん:堂や塔を巡らした寺院の建物)や多くの寺宝を失いました。その後、1713年(正徳3年)に火災に遭い、大門以外の建物はほとんど焼失。現在残っているのは江戸時代中期以降に再建された建物です。
粉河寺庭園も江戸時代の本堂再建時に作庭されたと考えられていますが、その一方で、作庭手法に安土桃山時代の作風が表れていることから、江戸時代初期以前に造られたとも推測されています。千利休と師弟関係を持つ「上田宗箇」(うえだそうこ)によって作庭されたという説もありますが、正確な作庭の年代は不明。なお、粉河寺庭園は1970年(昭和45年)に国の名勝に指定されました。
粉河寺庭園の特徴・様式

粉河寺の中門から本堂までは約3mの高さに及ぶ石段を通って行くことになりますが、この石段から見て両側に、変化に富む手法で堅固かつ美しく巨石を組み上げた石組があります。石垣としての役割もかねたこの石組は、本堂の前庭とその下にある広場との高低差を活かして築かれているのが特徴。この特徴によって粉河寺庭園は、ここでしか見ることのできない大変珍しい様式の枯山水庭園となっているのです。
石組全体の構成としては石段の左手に重心が置かれており、そこに枯れ滝・石橋・鶴亀の島などが表現されています。右手に行くに従い、石の扱いが軽くなっていくのも特徴のひとつ。特に見どころなのが、石段の左手にある枯れ滝石組。滝の上部に石橋を渡す「玉澗流」(ぎょっかんりゅう)という手法が見られます。玉澗流とは、背後に大きな築山を設け、その間から滝を落とし、滝の上に石橋を架けるという特徴を持つ作庭手法。「名古屋城二之丸庭園」(愛知県名古屋市)などでも見ることが可能です。粉河寺庭園では、石橋の奥に立石を配し、切り立った山に見立てています。
枯れ滝石組の左側には松を植栽して鶴石組を、右側には亀石組を配置。また、ツツジの刈り込みを石の隙間に配置したり、シダレザクラ、ソテツなどの植栽を組み合わせたりすることで、無機質な美を醸し出す石組に生の美しさを加えています。
粉河寺庭園の見どころ
ダイナミックな石組の庭園

粉河寺庭園の見どころは、何と言ってもその迫力。巨岩で構成されている枯山水と、その隙間に植栽されたツツジやソテツなどの組み合わせは圧巻です。この庭園は広場から本堂を仰ぎ見る前景として造られており、拝観者の視線を奪うことは間違いありません。単に巨岩を並べている訳ではなく、遠くに見える山を表現した遠山石(えんざんせき)や、石を90度に交差させているところなど、細かい意匠も楽しむことができます。日本庭園の中でも、高低差を活かした類を見ない石組の庭園を、ぜひ一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。
境内の文化財
粉河寺の入り口でもある大門は、1706年(宝永3年)に再建された門。大門に安置された仏師「春日」の作と伝わる金剛力士像も必見です。大門を抜けて、本坊や念仏堂などを横目に参道を進むと、現れるのが1832年(天保3年)に建てられた中門。入母屋造りで本瓦葺きの中門は、左右の間に四天王像を安置しています。扁額の「風猛山」は、紀州徳川家10代藩主「徳川治宝」(とくがわはるとみ)の直筆。中門を通って進むと、粉河寺庭園と本堂の左手にある宝形造りの小堂は「千手堂」。1760年(宝暦10年)に建立された千手堂では、正面に千住観世音菩薩、脇壇には紀州藩歴代藩主と藩にゆかりのある人々の位牌を祀っています。
粉河寺庭園から仰ぎ見ることでその荘厳さを感じさせる本堂は、境内の中でも一段高い場所に建立。一重屋根の礼堂と二重屋根の正堂とが結合した構成の複合仏堂形式が特徴となっており、西国三十三所の寺院の中で最大級のお堂です。1720年(享保5年)に再建された建物で、粉河寺の絶対秘仏である本尊千手観音を安置しています。国指定重要文化財であるこれらの建造物の他にも、和歌山県指定有形文化財や紀の川市指定有形文化財に指定された建造物など、境内には数多くの貴重な建造物があるのです。
桜の名所
粉河寺は桜の名所としても有名で、20余りの諸堂を囲むように植栽された桜の美しさは必見。境内には約300本にのぼる桜の木があり、ソメイヨシノをメインとした桜が咲き誇る様は圧巻です。例年3月下旬から4月上旬頃には、桜の美しい姿を見ようと多くの人が訪れます。境内が桜色に染まる姿は幻想的なので、春に訪問する際にはぜひその美しい姿をご覧になってみてはいかがでしょうか。
粉河寺庭園の施設情報
粉河寺庭園の施設情報についてまとめました。
フリックによる横スライド仕様となります。
施設名 | 粉河寺庭園(こかわでらていえん) | ||
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所在地 | 〒649-6531 和歌山県紀の川市粉河2787 | ||
アクセス | JR和歌山線「粉河駅」から徒歩14分 | ||
開園時間 | 24時間開放 | 休園日 | 年中無休 |
料 金 | 無料 |