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日本の名園・庭園100選

日本の名園・庭園 100選滋賀県

金剛輪寺庭園(明寿院)

庭園の分類
  • 寺社・寺院庭園
庭園の時代
  • 中世/安土桃山

滋賀県愛知郡愛荘町の「金剛輪寺庭園」(こんごうりんじていえん)は、滋賀県を代表する庭園です。鎌倉時代から歴史を持つ由緒正しい庭園で、敷地内には国宝や重要文化財の指定を受けた貴重な建造物も含まれています。また、金剛輪寺庭園は「近江国」(現在の滋賀県)と呼ばれるころから紅葉の名所。現在も多くの人が訪れている滋賀県を代表する観光スポットです。ここではで金剛輪寺庭園と、その本坊にあたる「明寿院」(みょうじゅいん)について解説します。

金剛輪寺庭園(明寿院)の施設情報金剛輪寺庭園(明寿院)の施設情報

金剛輪寺庭園(明寿院)の施設概要

金剛輪寺庭園は、天台宗の寺院「金剛輪寺」(滋賀県愛知郡)の境内にある庭園。庭園について知る前に、まずは金剛輪寺について解説します。

金剛輪寺について

国宝 本堂

金剛輪寺は、滋賀県の湖東三山(琵琶湖周辺にある3つの天台宗寺院の総称)のひとつとしても知られている寺院です。金剛輪寺の境内は敷地面積が非常に広く、多種多様な建造物が存在。そのなかに本坊の明寿院があり、その一帯が金剛輪寺庭園として知られています。この庭園は、国の名勝庭園にも指定されており、四季折々の趣を呈するその景観を目当てに来院する観光客も少なくありません。

国宝・重要文化財の指定を受けた建造物

金剛輪寺は、歴史的価値の高い建造物があることでも知られています。国宝の指定を受けた「大悲閣本堂」や、重要文化財の指定を受けた「三重塔」、「二天門」は、庭園と同様に金剛輪寺を代表する物です。

歴史

重要文化財 三重塔

金剛輪寺の歴史は極めて長く、奈良時代の741年(天平13年)に「聖武天皇」が勅願を出し、それに応じる形で「行基」が開山。
平安時代のはじめごろには比叡山から「慈覚大師」が訪れて天台密教の道場となり、その後延暦寺の末寺を経て天台宗の寺院となりました。

また、鎌倉時代から江戸時代にかけては、大悲閣本堂をはじめとした数々の建造物を境内に建立。とりわけ本堂に関しては「元寇」の役における戦勝を記念し、近江国の守護であった「佐々木頼綱」が建立したという史実も残っています。一方、庭園に関しては安土桃山時代から江戸時代中期にかけて段階的に造られていきました。非常に長い期間をかけて作庭され、その過程には様々な人がかかわったことから、作者は不詳。ちなみに、明寿院その物は昭和中期に一度焼失しており、現存するのは1978年(昭和53年)に再建された物です。

金剛輪寺庭園(明寿院)に関連する大名・武将

金剛輪寺庭園は長期間にわたって造られたことから、その作者は不詳となっています。そのため、特定の大名や武将がその作庭を命じたという史実が残っていません。このことを踏まえ、ここでは金剛輪寺境内にある建造物の建立や、その歴史にかかわった大名や武将を見ていきましょう。

北条時宗

鎌倉幕府で執権を務めた「北条時宗」は、金剛輪寺の本堂である、大悲閣本堂の建立に大きく関与しました。大悲閣本堂は、元寇の役での勝利に際して近江国の守護であった佐々木頼綱が建立しましたが、その命令を出したのが北条時宗だったという史実が残っています。

井伊直弼

江戸時代に彦根藩主を務めていた「井伊直弼」は、戦国時代の争乱のあおりを受けて凋落していた金剛輪寺の再建を主導。一時的ではあったものの、金剛輪寺の再興に大きく貢献します。
以後、金剛輪寺では明治時代に入るまで、庭園を含めた重要な建造物の整備・保存がしっかりと行われました。

織田信長

織田信長」は戦国時代の争乱の最中、天台宗寺院の焼き討ちを進めており、本来であれば金剛輪寺もその対象となるはずでした。しかし、なぜか金剛輪寺の焼き討ちは行われず、それは織田信長の見落としによると言われています。よって、金剛輪寺境内にある大悲閣本堂をはじめとした貴重な建造物が現存するのは、織田信長の見落としのおかげと言っても過言ではありません。

金剛輪寺庭園(明寿院)の特徴・様式

金剛輪寺の庭園は総門を入り、千体地蔵が有名な参道の手前の十字路を左に曲がったところにあります。名勝庭園にも指定されているこの庭園は歴史的に見ても非常に重要な庭園で、その特徴から庭園の完成に至るまでの長い歴史をうかがい知ることが可能です。

庭園の様式

金剛輪寺庭園

金剛輪寺庭園の様式は池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)に分類されます。この様式は園内を歩きながら鑑賞することを前提に設計。金剛輪寺庭園に関しては、その広大な敷地の長所を最大限に活かして造られたと言えます。

金剛輪寺庭園ならではの特徴

安土桃山時代から江戸時代中期に長い時間をかけて造られた金剛輪寺庭園。その造りには作成期間が長かったからこそ現れる特徴も見て取ることが可能です。

例えば、庭園は桃山時代・江戸時代初期・江戸時代中期それぞれの時代に造られた物が配置され、古い物が入り口に近くなるように並んでいます。各々の庭園にはそれぞれの時代の趣が溢れており、それらを順番に見ていくことで庭園が完成に至るまでの長い歴史に触れることが可能です。

金剛輪寺庭園(明寿院)の見どころ

庭園を含めた金剛輪寺には多種多様な見どころが存在します。観光の場合はイベントなどに合わせて訪れるのもおすすめ。主な見どころをご案内します。

四季折々の植物

心字池

金剛輪寺の庭園には多種多様な植物が植えられており、季節ごとに異なる趣を呈します。

例えば、春であれば石楠花やさつき、梅雨の時期は紫陽花、夏から初秋にかけては睡蓮といったように、各々の季節で異なる植物の花々の魅力を堪能するのもおすすめです。

また、金剛輪寺庭園の紅葉は「血染めのもみじ」と呼ばれるほど鮮やかな赤色が特徴的。こちらにも一見の価値があります。

3つの時代の庭園で構成される心字池(しんじいけ)

金剛輪寺庭園は3つの時代の庭園で構成されています。これら3つの庭園によって形づくられた心字池は庭園の中心に位置する池のことで、こちらもまた季節によってその姿が大きく変貌。とりわけ紅葉が終わったころから2月ころにかけての降雪時の心字池はこの時期ならではの趣に溢れ、多くの観光客を魅了しています。

仏生会・花祭

金剛輪寺では毎年子どもの日に仏生会と花祭を行っています。
この日は甘茶がふるまわれ、餅つきや子ども向けのゲームといったイベントも開催。ご家族で観光をする際などには特におすすめです。

金剛輪寺庭園(明寿院)の
施設情報

金剛輪寺庭園(明寿院)の施設情報についてまとめました。

フリックによる横スライド仕様となります。

フリックによる横スライド仕様となります。

施設名 金剛輪寺庭園(明寿院)(こんごうりんじていえん[みょうじゅいん])
所在地 〒529-1202 滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874
アクセス JR「稲枝駅」よりタクシーで約15分
拝観時間 8時30分~17時 休園日 年中無休
料 金 600円※団体割引あり

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