
<解説>
埼玉県秩父市久那に伝わる「ジャランポン祭り」は、生きている者を死者にみたてて葬式を執り行なう珍しい祭りとして注目を集めています。発祥などは明らかになっていませんが、地元諏訪神社の例大祭の宵宮祭として行なわれるようになりました。
その昔、村内に疫病が流行したとき、苦しみあえぐ人々を救うために、諏訪神社が人身御供を献上し、悪疫退散を祈願したことが始まりとも言われています。江戸時代末期までは神社のすぐ近くにあった宗源寺の行事だったようですが、寺で葬式を執り行ない、諏訪神社に送っていた様子。明治維新の神仏分離令によって宗源寺が廃止になると、祭り自体も諏訪神社の行事となり、現在に至ります。「ジャランポン」と言う名称は、葬式の場面で太鼓・鐃鉢(にょうばち)を打ち鳴らす「チン・ドン・ジャラン・ポン」という音から命名。別名「葬式祭り」とも呼ばれています。
祭り当日は、久那公会堂での「お日待ち」と呼ばれる宴会からスタート。酒が回って会場の雰囲気が盛り上がると、宴席が片付けられて葬式のシーンに早変わり。大僧正・僧侶役の人々は着替え、棺桶用の箱、位牌が置かれ、供物が並べられて線香に火が灯されます。死人役を務めるのは、この一年間に町内で最も不幸なことがあった人や、厄年の人。
一度死ぬことによって災厄を葬り去り、新たな人生をスタートできるようにとの願いが込められています。死人役は親族役の人々に死装束へと着替えさせられ、頭には三角の白い布も装着。死人を葬るときに首にかける「頭陀袋(ずだぶくろ)」を首から提げ、三途の川の渡し代を会場の人々にねだります。一回りして戻ると、中身を確認した大僧正から「少ない、もう一回りしてこい」と叱られ、さらにねだることに。ようやく大僧正から許しを受けると、親族に付き添われて棺桶に入りますが、一升瓶を渡された死人役は葬儀の間中、棺の中で酒を飲み続けます。
やがて大僧正による読経が始まり、そこで読まれるのはデタラメなお経。合間にチン・ドン・ジャラン・ポンと鳴り物が鳴り、会場の笑い声は絶えません。このあと、諏訪神社まで棺を担いでの葬式行列になりますが、大僧正と共に死人も歩いて向かいます。参列者は全員酔っ払っているので、大変賑やか。諏訪神社に着くと死人は再び棺桶へと入り、ロウソクに火が灯され、またもやデタラメな読経を大僧正が大声で唱えます。すると突然棺から立ち上がって「万歳!」と叫んでよみがえる死人。
死人からは新たな人生への抱負が語られ、最後に「秩父締め」という手締めで終了します。小さな村の祭りでしたが、この奇異な内容が全国に広がり、今では全国放送のテレビなどからも取り上げられるようになりました。

