
<解説>
和歌山県日高川町の丹生(にう)神社は、1906(明治39)年に出された神社合祀令(じんじゃごうしれい)によって旧丹生村の4つの神社を統合した村社です。もとは八幡大神をお祀りする江川八幡宮で、1909(明治42)年に和佐・江川・山野・松瀬の地区にあった祭神を江川八幡宮に合祀し、社号も丹生神社へと変更しました。
かつては各地区に行事がありましたが、合祀以降は丹生神社の例大祭「丹生祭」として行なわれるようになり、和佐地区の祭り「笑い祭」を中心に受け継がれています。丹生神社には、丹生都姫命(にうつひめのみこと)が祀られていますが、丹生都姫命は農耕や水を司り、赤土を生む神として崇敬を集めてきました。赤土には丹、つまり水銀が含まれており、かつて鉱山があったこの地域には縁のある神様です。
昔々、出雲の国では神在月(旧暦の10月)の最初の卯の日に神様たちの集まりがあり、丹生都姫命も初めて出席することになっていました。しかし朝寝坊をしてしまい、ふさぎこんで神殿に閉じこもってしまったのです。そこで心配した村人たちが丹生都姫命の邪気を祓うために農産物を持った福枡をお供えし、「笑え、笑え」と慰め、勇気づけました。この神話をもとにして「笑い祭」が生まれ、江戸時代から今日に至るまで継承され続けています。
祭りの当日は、早朝から神輿に御霊を遷す神前式が行なわれ、そのあと神輿を担いで江川の左岸にある御旅所へと向かいます。御旅所では神事が執り行なわれますが、それに先立って行なうのが「鬼の出迎え」。宮元である江川の鬼が、山野・松瀬・和佐の鬼を迎え、お互いに矛(ほこ)と簓(ささら)を響かせて睨み合います。大変勇壮な様子はこの祭りの見どころのひとつです。
御旅所を出て丹生神社へ還御する道のりではじまるのが「笑い祭」。神輿を先導する「鈴振り」はカラフルな衣装に笑を誘う化粧をほどこし、「エーラクシャ(永楽じゃ)、ヨーラクシャ(世は楽じゃ)」と掛け声をあ上げ「笑え、笑え」と沿道の人々にせまります。うしろに続く12人(閏年は13人)の「枡持ち」が、竹の串に刺したみかんなどの収穫物を入れた福枡を捧げて大笑いすると、沿道の見物人々もつられて大笑い。「鈴振り」は、宝箱からお菓子をまくついでに笑いも振りまいて練り歩きます。丹生神社へ到着すると、江川の奴踊りや、山野の雀踊り、松瀬の竹馬、和佐の踊り獅子など、地域に伝わる舞が奉納され、祭りは終了。
古式豊かな祭礼は、和歌山県の無形民俗文化財に指定されました。

