
<解説>
撞舞の起源には諸説ありますが、古代中国の民間芸能である手品や軽業、滑稽な業の一種である「尋舞(つくまい)」が日本に伝わり、五穀豊穣の祈願や雨乞いなど、神事と結び付いたという説が有力です。
「撞(つく)」は柱や竿を表す「橦」の字が転化したものと言われていて、舞いの舞台である長い柱の先を意味しています。毎年7月下旬、3日間にわたって行なわれる龍ケ崎市上町の八坂神社祇園祭最終日の夕刻、根町の撞舞通りで行なわれ、2008年からは2人の舞男が妙技を見せてくれます。
撞舞の名の通り、頭上約14メートで繰り広げられるアクロバティックな舞いは手に汗握る程スリリング。二間四方の櫓に据えられた杉の丸柱の先端に横木を付け、その上に作った円座が舞台です。
舞男は近くにある蛙宿で唐草模様の筒袖襦袢(つつそでじゅばん)に裁着袴(たつつけばかま)、うしろに「ウロコ」と呼ばれる布を垂らした雨蛙の被り物を被って準備を整え、世話役に先導されて八坂神社仮宮に赴き、お祓いを受けてお神酒を頂きます。弓矢を神主より手渡されて櫓(やぐら)に戻り、笛や太鼓の囃子に合わせて撞柱に上り、途中で逆さまになるなどの芸を見せながら頂上へ。
円座の上に立ち上がって「四方払い」と称して東西南北に矢を射ります。頂上でも逆立ちしたり、横木に仰向けになって寝たり、撞柱から張られた白綱に移って様々な軽業を演じたあと、撞柱から頭を下にして滑り降ります。
これらの一連の軽業は、室町時代から近世初頭に見世物として流行した「蜘蛛舞(くもまい)」という曲芸に大変似ており、祇園祭と結び付いてこの地に伝えられたことが考えられます。芸能の変遷を知る上でとても重要な舞と評価され、国選択・県指定の無形民俗文化財となっています。

