観光スポット・旅行・レジャー

珍名・奇祭クイズ

第16問 兵庫県相生市(あいおいし)に伝わる「相生ペーロン祭」は何をモチーフにした船で競漕する?

正解 C.龍

<解説>

紀元前300年頃、中国の戦国時代に湖南地方で楚の国の宰相・屈原(くつげん)は懐王(かいおう)を助けて善政をしき、名宰相と言われていました。しかし、根も葉もない噂で政界から退けられ、その後間もなく懐王は泰の軍勢に捉えられて客死。屈原は楚の国運を嘆いて川に身を投げて命を絶ったところ、国民達はこれを非常に悲しんで「ちまき」を作って川に投げ入れ、龍船(白龍)を浮かべて競漕し、屈原の霊を慰めました。

この競漕が1655(承応4~明暦元)年、日本に伝来。ペーロンは「白龍(パイロン)」が訛ってできた言葉と言われています。

当時、数隻の中国船が長崎港を訪れた際、強風のために出港できなくなり、海神を慰めて風波を鎮めるために港内でペーロン競漕を行ないました。これを見た長崎の人達が取り入れて行なっていたのを、1922(大正11)年、長崎出身の播磨造船所従業員がふるさとの祭りを懐かしんで相生の地に伝えたのです。

終戦までは毎年5月27日の海軍記念日に同社構内天白神社の祭礼としてボートレースとともに行なわれてきましたが、戦後になってこの異国情緒溢れるペーロン競漕を絶やすことなく続けたいと、市、商工会議所、播磨造船所の共催による「相生港まつり」を開催。前夜祭に花火大会も催されるようになって祭りの基礎ができ、昭和38年に祭りの名称が「相生港まつり」から「相生ペーロン祭」へと変更されました。

現在のペーロン船は少し小型化されていますが、龍の頭部をかたどった船首と木造和船の伝統をそのままに受け継ぐ12隻を使用。それぞれの船に艇長、舵取、太鼓、銅鑼(どら)らが1名ずつと、漕ぎ手28名の計32名が乗り込みます。

「ドン!デン!ジャン!」と中国特有の銅鑼と太鼓の音に合わせて力漕する姿は、まさに龍が水面を駆けるように壮観。相生市の他に長崎や沖縄などでも行なわれています。

相生ペーロン祭 相生ペーロン祭