
<解説>
ひょうげ祭りは高松市香川町にある「新池」と言う、ため池を舞台に行なわれます。
祭りの起源は江戸時代までさかのぼり、当時の高松藩主・松平頼重(まつだいらよりしげ)は、たびたびこの地を襲う干ばつに困り果て、家臣であり土木技術者の矢延平六に池築造の命令を出しました。
平六は早速大きなため池を築造し、周囲の田畑は干ばつの被害から救われましたが、ため池が広大過ぎたために「高松城を水攻めするのでは」と言い出す者が現れ、平六は阿波(徳島)へと追放されてしまいました。
農民たちは新池を見下ろす高塚山に社を建て、平六の功績を讃えるとともに豊作を祈り、平六が追放された旧暦の8月3日に祭りが行なわれるようになりました。「ひょうげ」とは讃岐の方言で「ひょうきんな」や「おどける」と言う意味。
かつらや着物、さらには神輿などの祭祀道具のほとんどが農作物や家庭用品で作られ、白塗りの顔に赤い隈取りをした人々の行列がおどけた様子であることからそう呼ばれるようになったようです。
腰には里芋の茎でできた刀を差し、足には下駄と草履を片方ずつ履き、手ぶり足ぶりも面白おかしく練り歩く様子はとても牧歌的。1986(昭和61)年に高松市の無形民俗文化財に指定されています。

