関ケ原の合戦の決戦地
関ケ原の合戦の史跡めぐりをしてきました。決戦地は石田三成の陣跡や
笹尾山交流館などが近い位置にあります。光成率いる西軍は総兵力では東軍を上回っていましたが、開戦時から積極的に戦っていたのは石田三成、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継らごく一部だったとのこと。西軍に付きながら事前に東軍へ内通していた松尾山の小早川秀秋去就を決めかねて戦況を傍観。東軍の黒田長政らの猛攻を幾度も押し返した石田三成隊をはじめ正午頃までは西軍は善戦していました。しかし秀秋が寝返りを決意し、迎撃した大谷吉継隊は善戦むなしく壊滅。西軍は総崩れとなります。その時、この決戦地一帯は最後に残った石田隊、島津隊に押し寄せる東軍で埋め尽くされていたと考えられます。東軍の最後の一押しに石田隊もついに壊滅。島津隊は家康の本陣を横切り中央突破して戦いは終わります。光成は伊吹山山中の洞窟へ逃亡。天下分け目の戦いと言われる国内最大級の戦いはわずか半日程度でその幕を閉じたといわれています。