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投稿ユーザー様からの口コミ投稿
名張藤堂家邸跡 の投稿口コミ一覧
1~9件を表示 / 全9件
自動車のクロスカントリーが趣味で年に何回かついて行きました。その際に藤堂家邸の旧跡があるとナビ検索でわかり 行ってみました。その時代を忍ばせる名刹と感心して、 機会があればまた行きたいと考えております。 伊賀上野から名張まで少し距離ありますが行く価値はあると思います。
名張駅をきたに向かうと、名張小学校の正門前に施設があります。 江戸時代の東堂家の一門にあたり、東堂高虎の養子、東堂高吉を祖とし、桔梗の花が家紋です。宝永7年の名張大火で焼失したが徐々に再建、増築した様です。
藤堂高虎の養子高吉を始祖とする名張藤堂家邸の一部です。近鉄名張駅から徒歩8分程度の場所に有料公開されています。内部には党当主が書いた屏風や具足が展示されています。
織田信長の重臣丹波長秀の三男藤堂高虎の養子となった高吉が構えた屋敷だそうですが内部には上級武家屋敷らしく金屏風や武具など当時の栄華が感じられる品々が展示されていました。 建物も気品があり上級武士だったんだなあと思わされました。
藤堂高道の養子で藤堂高吉が建てた武家屋敷です。 明治維新の年に大部分が取り壊されてしまいましたが、中奥、茶室などが残されており、併せて豊臣秀吉朱印状などが一般公開されています。 藤堂高吉は子供のいなかった高道に跡継ぎとして養子になったのですが、その後高道に実子ができたため高吉は冷遇されましたが高吉は奮起し、その後の名張の発展は高吉のおかげだとも言えるそうです。
江戸時代の津藩主藤堂家の一門にあたる、名張藤堂家 初代津藩主・藤堂高虎の養子・高吉にはじまり、名張の城下町を発展させた功労者です。 名張藤堂家は高吉から明治維新まで11代を数え、名張に居 を構え、城下町の発展に尽力してきました。 地元の人間としては、一度は訪れたい場所ですね。
名張に居を構えた藤堂宮内家の屋敷跡です。現在の屋敷は名張大火後に再建された屋敷の一部分ですが、現存する数少ない上級武家屋敷で、建物内では、調度品や武具、資料など展示されています。
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