観光スポット・旅行・レジャー
■島根県松江市/

観光・旅行

投稿ユーザー様からの口コミ投稿

小泉八雲記念館投稿口コミ

施設検索/島根県松江市の「小泉八雲記念館」へのコメントをご覧頂けます。

トップページへ戻る

施設のトップへ戻る

人気度評価/お気に入りコメント

八雲記念館

評価:5

1890年(明治23年)に来日してから帰化して14年間、東京で亡くなるまで日本で過ごしていたが、そのうち1年3ヶ月ほど松江に住んでいた。
現在もその遺構が残っているのは松江のみと言う事で、旧宅の隣に記念館を設立した。ギリシャで生まれてから日本人として日本でなくなるまでの八雲の生涯を、関わった人物や著作を年代別に展示してある。また、妻である小泉セツの生涯も併せて展示してある。

小泉八雲とセツの愛情物語。
小泉八雲が『怪談』執筆に至った生い立ちや経歴。
小泉八雲がいかに日本の文化を愛していたのかが良く分かるとても良い展示でした。
リニューアルしたのか、館内は清潔で今時風でした。
実物展示の他、映像解説もあります。
外観からあまりイメージできなかったですが、館内は貴重な資料が数多く展示されており、小泉八雲と妻セツの生涯を理解する上でとても参考になりました。
私は小泉八雲のことは
よく分からずに行ってみました。
資料館でたくさんの資料や写真を
見てよく分かりました。
私なりにもまだしっかり調べて
みたいと思いました。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の人となり、業績を概括的に学べます。国指定史跡の小泉八雲旧居と違って、こちらは門構えこそ江戸時代なものの建物内はエアコンが効いていて、松江城とその周辺を歩き回って大汗かいた体をクールダウンさせるのにもぴったりです。ハーンの父はアイルランド出身ながらも信仰はプロテスタントで、イギリス軍の軍医中佐でした。勤務先のギリシャでハーンの母と結婚してハーンが生まれたものの、ハーンの母が精神を病んだため離縁に至ります。以後、ハーンはダブリンに住む父方の親戚に預けられますが、カトリックの教義に基づく厳格な教育への反発から、多神教的な価値観に傾倒していくことになります。はじめはドルイド教、アメリカに渡ってからはブードゥー教とクレオール文化、さらには日本神話への興味を募らせて、ついにはアメリカ西海岸から日本へと旅立ちます。ジャーナリストとして若くから評価されていたハーンは、来日後は英語教師として働きつつ、「怪談」をはじめとした日本文化に関する著作を積極的に発表します。ハーンの日本人観は、米軍の軍事書記官であったフェラーズ准将を通じてマッカーサー元帥による日本占領政策にも影響を与えたとされています。来日したハーンは没落した松江士族の娘であった

※更新時期により、最新の情報と異なる場合がございます。

木下さん

この内容に誤りがある場合、こちらよりご連絡ください。

この投稿を連絡する

この施設への投稿写真 1 枚

口コミ一覧へ戻る

国内旅行・観光の魅力再発見!【いい旅、ふた旅。】
「いい旅、ふた旅。」は、全国の観光施設や名所に関する情報をお届けするブログです。
ホームメイト
ホームメイト・リサーチ
ホームメイト・リサーチの使い方
ホテル多度温泉
東建多度カントリークラブ・名古屋

ホームメイト・リサーチに
口コミ/写真/動画投稿しよう!

新規投稿ユーザー登録

ユーザー様の投稿口コミ・写真・動画の投稿ができます。

施設関係者様の投稿口コミの投稿はできません。写真・動画の投稿はできます。

イメージ画像

ゲストさん

ゲストさんの投稿数

今月の投稿数 施設

累計投稿数

詳細情報

口コミ

写真

動画