愛知郡愛荘町 の観光スポット・旅行(26施設)
滋賀県愛知郡愛荘町の観光スポット・旅行・レジャーを一覧でご紹介します。「旅探たびたん」では、愛知郡愛荘町にある観光施設の所在地の他に、皆様から投稿頂いた情報を一覧にて表示。施設名をクリックすると観光スポット・旅行・レジャーの詳細情報はもちろん、目当ての観光施設周辺の情報を確認することができます。愛知郡愛荘町で観光・旅行したい方におすすめです。観光スポット・旅行・レジャー一覧は、①アクセス数、②動画、③写真、④口コミの多い順に掲載しています。
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関西地方
- 愛知郡愛荘町の観光スポット
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- 仏心寺は、創建時には金台寺(こんだいじ)と呼ばれており、検非違使(けびいし、=平安時代の軍事・警察官僚)であった平諸道(たいらのもろみち)の氏寺と伝えられています。 この寺に伝わる『木造地蔵菩薩立像』は、鎌倉時代前期の貞応(じょうおう)3年(1224年)の作で、国の重要文化財に指定されていますが、通称「矢取地蔵」と呼ばれています。普通、地蔵菩薩の右手には、錫杖(しゃくじょう)を持たせますが、この地蔵菩薩は錫杖の代わりに矢を持っています。 この寺に古くから伝わる「矢取地蔵」のエピソードは大変有名で、平安時代に成立した説話集である『今昔物語集』の巻十七にも、「地蔵菩薩、小僧の形に変じて矢を受くる話」として紹介されています。 説話によれば、古来、寺の存する安孫子(あびこ)荘では隣接する押立保(おしたてのほ)との間で用水をめぐる水争いが絶えず、ある時、押立保より数百人もの大軍勢に攻め入られた際に、平諸道方は矢を射尽くしてしまい、窮地に立たされます。その時、戦場にどこからか小法師が現れ、矢を拾い集めて諸道方に与え、その矢で射たところ、思いのままに敵を倒すことができ、戦に勝利できたそうです。小法師は顔に矢を受けながらいずこともなく姿を消しました。後日、諸道が戦勝のお礼に氏寺へ参詣したところ、地蔵菩薩の顔には黒羽の矢が刺さって血が流れており、戦場で矢を拾って助けてくれた小法師はこの地蔵菩薩であったかと感じ入って、岩倉山にお堂を建てて地蔵を祀った、というエピソードです。 享徳2年(1453年)に安孫子(あびこ)の領主:鞍智高春(くらちたかはる)が寄進した『矢取地蔵縁起絵巻』(町指定文化財)も、同じ説話を題材として描かれています。 「水争い」という地域の歴史を地図の上でも、「矢取地蔵」という実像でも、立体的に体感できる施設で、また、説話を通じて庶民の願望や信仰心を感じ取ることもできる、歴史好きな方にはお勧めの施設です。
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- 堅井之大宮さんは、春の祭礼がとても有名です。近隣の9つの地区からそれぞれ曳山が巡行し、堅井之大宮さんへ集結します。若い衆が掛け声とともに曳山を引き回す様は大変勇壮で、多くの見物客も訪れます。古来より当地とその周辺諸国では用水をめぐる諍いごとが頻繁にあったとのことで、その歴史を想起させるような、大変荒々しい様子でもあります。 地域の結束を象徴する堅井之大宮さんですが、歴史的にも大変由緒深く、延喜式に記載のある式内社「近江国 愛智郡(えちぐん)鎮座 軽野神社(かるのじんじゃ)」の論社(式内社であるとされるいくつかの神社のうちの一つ)とされています。当社の社号標や扁額にも「軽野神社」の名称が見られることからも、堅井之大宮こそが式内「軽野神社」であるという地元の方々の思いが見て取れるようです。 当社の主祭神である袁邪本(おざほ)王は、『古事記』によれば「近淡海蚊野之別(ちかつおうみかののわけ)」という豪族の祖に当たるとのことです。「蚊野(かの)」の地名は現在でも当地にあることから、地域を治めていた豪族の氏神を祀ったのが軽野神社の由緒ではないかと言われています。 『古事記』に由緒が書かれている神社という意味で、歴史好きな方にはもちろんお勧めですが、ぜひ春の曳山巡行を観て、地元の方々の結束の息吹を感じて頂きたいですね。
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