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明治日本の産業革命遺産 寺山炭窯跡・関吉の疎水溝(てらやますみがまあと・せきよしのそすいこう)

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世界遺産「明治日本の産業革命遺産」のうち旧集成館とともに鹿児島県で登録された寺山炭窯跡・関吉の疎水溝。
集成館事業において燃料の木炭を製造するために築かれたのが寺山炭窯跡。一方水を供給していたのが関吉の疎水溝です。この世界遺産について、詳しくご案内します。

寺山炭窯跡

関吉の疎水溝

現在の鹿児島県鹿児島市吉野町に位置する石積みの窯跡です。集成館事業で使われる「木炭」を製造するために造られ、2013年(平成25年)に旧集成館の附として国の史跡に指定されました。2015年(平成27年)、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつとして、旧集成館と共に世界遺産に登録されています。

寺山炭窯が造られた背景

寺山炭窯
寺山炭窯

集成館事業を行なう中でさらなる大量の燃料が必須であることに気が付いた島津斉彬は、福岡から石炭技師を招き領内の石炭をつぶさに調べさせました。

歌舞伎パンダ

しかしながら、石炭鉱脈は見つからず他藩の石炭に頼らざるを得ない状況に陥ります。そこで斉彬が考えた代替燃料が「木炭」でした。

吉野地区の森林地帯であった「寺山」には、木炭の材料に適する椎(しい)や樫(かし)の木が多数自生しており、これらを使うことで火力が強く火持ちも良い、商品価値の高い木炭である一種白炭が製造できたのです。この白炭に目を付けたのが斉彬の父、島津斉興の側近であった調所広郷でした。

そこで斉彬は、1856年(安政3年)、当時木炭技術の最先端であった紀伊藩に藩士を派遣させ技術を学ばせます。同時に紀伊藩から2人の炭焼師を招き、自藩の石炭技術の向上にも努めました。そして1857年(安政4年)、集成館から北に5キロ離れた寺山の地に3基の炭焼窯を建設。斉彬が寺山を選んだのは木炭の材料に適した森林資源が豊富であったこともありますが、集成館からの距離も近く、製造した炭を運搬するのが比較的容易であったことも理由であるとされています。

製造された木炭の用途

寺山で製造された木炭は、主に集成館事業の反射炉において溶鉄のために使われたという記録が残っています。

また、陶磁器やガラスなど民芸品の製造にも利用されていましたが、寺山での木炭製造は1858年(安政5年)の斉彬の急逝によって廃止となりました。

木炭
木炭

現在の寺山炭窯跡

寺山炭窯跡
寺山炭窯跡

現在寺山には、3基のうち1基のみの窯跡が残されており、残りの2基は建設された場所も分かっていません。

歌舞伎パンダ

残された1基は高さ3m、直径5~6mにも及ぶ堅牢な石積みの巨大な釜で、築造された当時の姿が今もそのまま残されています。

現在の鹿児島県北東部にある下田町関吉から磯地区吉野町までの7~8キロに及ぶ用水路です。

こちらも前述の寺山炭窯跡と同じく島津斉彬によって行なわれた旧集成館の動力源として活用された遺産で、2015年(平成27年)、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつとして、世界遺産に登録されました。この疎水溝を使い集成館に水を引き込み、水の力をうまく利用することで工場を動かす動力源に変えていたそうです。

関吉の疎水溝が造られた背景

関吉の疎水溝
関吉の疎水溝

元々関吉の疎水溝は、1722年(享保7年)前後に薩摩藩の第4代藩であった島津吉貴が、新田への灌漑用水と島津家の別邸であった仙巌園への給水のために稲荷川上流の取水口から仙巌園までの約7キロの距離を造成したのではないかと考えられています。

それから100年以上経った1852年(嘉永5年)、島津斉彬が集成館事業の動力に転用させるため、新たに水路を設け改修工事を行ないました。トンネルを18ヵ所も掘り起こすなど当時の一大事業であったことが窺えます。

集成館に引き込んだ水力の用途

関吉の疎水溝を通り集成館に引き込まれた水は水車にたどり着きます。当時は蒸気機関がまだ研究段階であったため、砲身に穴を開けるための鑚開台や熔鉱炉内に風を送る鞴、また火薬の原料を砕く動力などに水車は使われました。現在、博物館である尚古集成館では、当時の銃薬水車の模型展示を行なっています。

水力発電用ダム跡 仙巌園
水力発電用ダム跡 仙巌園

また、この疎水溝で注目すべき点はその傾斜角度であり、関吉から実方までの3,470m間で、高低差はたったの2m。

疎水溝はほぼ水平の状態でゆるやかに水が流れるように設計されており、当時の技術力の高さには驚かされます。

現在の関吉の疎水溝

仙巌園 磯御殿
仙巌園 磯御殿

現在この疎水溝は、関吉に稲荷川から水路へ水を取り込む取水口がほぼ当時のままの状態で現存しています。

また、取水口付近では岩盤を繰り抜いた水路が原形をとどめており、途中滝のようになっているところは「巌洞の滝」と称されることも。水路は集落を通り延々と続き、現在は実方橋の手前で途絶えています。

一部の水路は今でも農業用水として利用されているそう。近年世界遺産の構成資産のひとつに選ばれたものの、知名度は同じ世界遺産構成資産の旧集成館などと比べいまだ低い状態です。

今後はより知名度を上げガイドを育成していくことが、関吉の疎水溝の課題であるでしょう。