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琉球王国(沖縄県)

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2000年(平成12年)、沖縄県本島の南部を中心に点在する9つの建造物や遺跡が、ユネスコ世界遺産(文化遺産)「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録されました。世界遺産に登録された建造物や遺跡についてご紹介致します。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」とは

現在の沖縄県にはかつて「琉球王国(りゅうきゅうおうこく)」が栄え、日本や大陸からの影響を受けながら独自の文化で隆盛を極めました。

世界遺産に登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」には、琉球王国が成立するまでの時代や、琉球王国によって建てられたものなどが含められており、それぞれが沖縄で営まれてきた文化や歴史を知る、貴重な資料になっています。

「グスク」とは

「グスク」とは「城」「城塞」などを表し、沖縄を中心に奄美群島(現在の鹿児島県・かつては琉球王国の領域)で使われてきた言葉で、「城跡」など史跡のことを指しています。

なお、ユネスコ世界遺産では「城跡」を「じょうあと」と読み方を統一しています。ただし、現地の人は昔からの名称として「ぐすくあと」などと呼ぶ場合もあります。

グスクは、本州の各地にある軍事拠点としての城とは成り立ちの違いが指摘されており、居城がグスクになったとする説、信仰の聖域としてグスクが造られたとする説、集落の周囲を石垣で囲ったものがグスクであるとする説など、様々な説があります。

沖縄の歴史を知るキーワード「三山時代」

沖縄には、かつて各地でグスクが構えられ、それぞれに「按司(あじ、あんじ)」と呼ばれる支配者がいましたが、14世紀頃にそれらを束ねる強力な王が現れたことで、沖縄本島及び周囲の群島は3つの国になり勢力争いを行なっていたとされています。これが「三山時代(さんざんじだい)」です。

沖縄本島の中部から北側が「北山王国(ほくざんおうこく)」または「山北王国(さんほくおうこく)」、その南側が「中山王国(ちゅうざんおうこく)」、そして最南部が「南山王国(なんざんおうこく)」または「山南王国(さんなんおうこく)」でした。

やがて中山王国の勢力が強くなり、1416年(応永23年)に北山王国を、1429年(生長2年・永享元年)に南山王国を滅ぼしました。そして、中山王国は「琉球王国」と名称を改めた歴史があります。

今帰仁城跡

世界遺産に登録されている「今帰仁城跡(なきじんじょうあと)」は、沖縄本島の中部にある今帰仁村(なきじんむら)の城跡です。

沖縄にあるグスクとしては、首里城と並ぶ県内最大級の大きさで、南北350m、東西800mが城域とされています。

また、築かれた城壁は高さ3~8m、長さ約1.5kmを誇り、地形を利用した美しい曲線が描かれています。

かつては北山王国の王、北山王が住んでいたグスクです。城門から本丸まで石畳の道が敷かれており、雄大な景観を今に残しており、「日本100名城」のひとつにも選定されています。

今帰仁城跡 公式サイト
http://nakijinjo.jp/
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座喜味城跡

座喜味城跡

沖縄県中頭郡読谷村にあるグスク「座喜味城跡(ざきみじょうあと)」も世界遺産のひとつです。

沖縄本島の西海岸を見渡せる標高125mの丘に築かれており、外周は365mに及び、美しく築かれた石垣で囲まれています。

15世紀の前半、中山王国の按司、護佐丸(ござまる)によって築かれたと伝えられており、北山王国を滅ぼした戦いに参加した護佐丸を城主として、北山側を監視する目的で建てたと言われています。

なお、第二次大戦の沖縄戦前にはここに日本軍の砲台が置かれ、戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため、一部の城壁が破壊されてしまいました。現在、これらの城壁は復元されています。

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勝連城跡

「勝連城跡(かつれんじょうあと)」は、世界遺産に登録されているグスクのひとつです。

沖縄本島の中部東海岸から太平洋側に飛び出した勝連半島(かつれんはんとう)、沖縄県うるま市に位置しています。なお、「勝連半島」は地域独自の名称として「与勝半島(よかつはんとう)」と呼ばれる場合があります。

このグスクが築城されたのは、13~14世紀あたりと伝えられています。当初の城主は茂知附(もちづき)按司だとされていますが、茂知附按司は圧政を敷いたため阿麻和利(あまわり)によって討たれ、以降の按司の地位には阿麻和利が就きました。

阿麻和利は、大陸の技術を積極的に取り入れ、勢力を強めて「麒麟児(きりんじ)」と呼ばれる程になったと伝えられていますが、1458年(長禄2年)、琉球王国によって滅ぼされたと記録に残されています。ただし、勝連城跡に大きな戦いの跡は残されていないため、阿麻和利がどのような末路を辿ったのかはっきりしていません。

勝連城跡 公式サイト
http://www.katsuren-jo.jp/
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中城城跡

中城城跡

座喜味城跡を築いた護佐丸が、15世紀半ばになって移り住んで完成させたと伝えられるのが「中城城跡(なかぐすくじょう)」です。この城跡もユネスコ世界遺産に登録されています。

沖縄県の南東部にある中城湾(なかぐすくわん)に面した高台に築かれており、6つの郭で構成される連郭式が採用されています。

沖縄各地に築かれたグスクとしては比較的新しいものであり、当時の最新技法である「亀甲乱れ積み」と呼ばれる技術が使われているのを確認できます。

後世、1853年(嘉永6年)に沖縄を訪れたアメリカのペリー提督は、このグスクを見てその建築土木技術の高さに驚いたと記録されています。

中城城跡 公式サイト
http://www.nakagusuku-jo.jp/
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首里城跡

首里城跡

沖縄県那覇市首里にある琉球王国の王城「首里城(しゅりじょう、すいぐすく)」も、世界遺産に登録されている史跡のひとつです。

14世紀末に築城されたと伝えられていますが、築城年ははっきりとしていません。三山時代が終わり、琉球王国による統一が成されてから建てられたとする説が有力です。

日本と中国の建築技術を融合させたような独特な手法を随所に見ることができ、周辺の首里城公園も含め、沖縄観光の拠点としても愛されています。

第二次大戦の末期に繰り広げられた沖縄戦で消失してしまいましたが、戦後に復元・整備されました。

首里城 公式サイト
http://oki-park.jp/shurijo/
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園比屋武御嶽石門

「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」は首里城の一角にある石門で、これ単体で世界遺産に数えられています。

名石工と名高かった「西塘(にしとう)」によって1519年(永正16年)に造られたと伝えられており、石で造られた門でありながら、まるで木で造られたように細かな装飾が施されているのが特徴です。

玉陵

玉陵

沖縄県那覇市金城町にある王の墓「玉陵(たまうどぅん)」も世界遺産に登録されています。

1501年(文亀元年)に琉球王国の第三代尚真王(しょうしんおう)が、父である尚円王を葬るために建てたと言われています。

沖縄戦では中室、東室、西室のうち東室と西室を破壊されてしまいましたが、戦後になって復元されました。

識名園

沖縄県那覇市識名になる庭園のひとつが「識名園(しきなえん)」です。

日本のものとも中国のものとも違う琉球王国独自の庭園技術が使われており、1799年(寛政11年)に琉球王家の別邸として完成した当時には、迎賓館としても使われていたそうです。沖縄戦で大きな被害を受けましたが、戦後になって復元されました。

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斎場御嶽

沖縄県南城市(旧知念村)にある史跡「斎場御嶽(せーふぁうたき)」も、世界遺産のひとつに数えられています。

かつて琉球王国で祭祀を行なう場所(沖縄では「御嶽(うたき)」と呼びます)として使われていたと伝わっています。

伝承では琉球の始祖である「アマミキヨ」が斎場御嶽を造ったとされており、琉球に伝わる神話の神々が訪れる場所として、また神が存在する場所として古くから神聖視されており、現在も「琉球最高の聖地」として多くの信仰を集めています。

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