ご希望の観光名所/旅行/温泉/レジャー情報を無料で検索できます。

施設検索/ホームメイト・リサーチTOP

旅探
観光名所/旅行/温泉/レジャー
トップページへ戻る
トップページへ戻る

法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)

  • Increase Text Size
  • Increase Text Size
  • Decrease Text Size

1993年(平成5年)にユネスコ世界遺産に登録された「法隆寺(ほうりゅうじ)」及び「法起寺(ほうきじ)」の建造物から構成される「法隆寺地域の仏教建造物」をご案内します。

法隆寺地域の仏教建造物とは?

法隆寺とは?

法隆寺に深くかかわった聖徳太子

法起寺とは

法隆寺地域の仏教建造物とは?

奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の寺院「法隆寺」と、その周辺にある建築物のことです。これらは、ユネスコ世界遺産(文化遺産)として1993年(平成5年)に登録されました。

7世紀頃に建造されたと伝えられるこれらの建築物は、それが今でも現存しているという希少さはもちろんのこと、当時日本に伝えられ興隆した仏教に関する重要な歴史的資料として大切に保管されています。

具体的には、法隆寺にある建築物47棟と、法起寺にある三重塔を含めた建物が文化遺産として登録されています。

法隆寺とは?

ユネスコ世界遺産に登録されている建築物群のほとんどは法隆寺にある建物です。

法隆寺は聖徳宗の総本山であり、「斑鳩寺(いかるがでら)」などの別名があります。法隆寺は7世紀に創建された(諸説あります)と伝えられています。幾つかの建築物で構成される法隆寺ですが、その中でも西院伽藍(せいいんがらん)は、世界最古の木造建築物として知られています。なお、境内の敷地面積は約18万7,000m2です。

西院伽藍とは?

西院伽藍
西院伽藍

「伽藍(がらん)」とは、寺院で僧侶が集まって修行する清らかな場所のことを指す言葉で、寺院にある幾つかの建物や場所を総称して用いることが一般的です。

法隆寺で「西院伽藍」とされているのは、金堂、五重塔、回廊、中門、鐘楼、経蔵などを含む、小高い場所にある建物群のことです。法隆寺にある南大門から入り、正面に位置しています。これらは、601年(推古9年)に創建されたと伝えられていますが、もう少しあとの7世紀後半頃に建てられたとする説の方が有力です。

いずれにしても法隆寺の西院伽藍が、現存する世界最古の建築物であることには違いありません。

法隆寺にある代表的な建築物、五重塔

現存する木造の五重塔として世界最古のもので、日本の国宝に指定されています。五重塔は仏教施設で多く見られる建物ですが、法隆寺にある五重塔は、屋根が下から上へ登るにつれて極端に小さくなっていくシルエットが特徴的だとされています。

歌舞伎パンダ
五重塔
五重塔

法隆寺にある代表的な建築物、金堂

金堂
金堂

国宝に指定されている二重仏堂です。かつては、壁画が貴重な仏教絵画として扱われてきましたが、修復作業の一環として模写を行なっている最中に火災になってしまい、黒焦げになってしまいました。この火災が「文化財保護法」が制定されるきっかけになったとされています。

法隆寺にある代表的な建築物、中門

両側に金剛力士像を安置する巨大な門です。これも国宝に指定されており、また仁王像は「日本最古の仁王像」としても知られています。
なお現在、出入口の門としては使用されていません。

歌舞伎パンダ
仁王像
仁王像

法隆寺が建てられた経緯

法隆寺
法隆寺

法隆寺は、推古天皇の時代に聖徳太子が創建したと伝えられており、そのもとになったとされているのが、推古天皇の2代前に在位していた用明天皇の発案です。用明天皇はこの発案から間もなく亡くなってしまったため、推古天皇と聖徳太子が意志を継いで法隆寺を創建したとされています。聖徳太子が斑鳩宮を建てたのが601年(推古9年)、そして、その周辺に法隆寺を建てたのが607年(推古15年)としています。

これらについては、法隆寺の金堂「東の間」に安置されている薬師如来坐像の光背銘に記されています。ただし、その像の鋳造技法や様式を分析した結果、像自体は7世紀後半よりもあとになって製作されたものだと考えられるようになりました。法隆寺の建築年について諸説が語られているのは、主にこの記述が発端だと言えます。

なお、日本の正史である「日本書紀」には、法隆寺の創建については何も記述されていません。しかし670年(天智9年)に火災があったことについては記されています。

建築年に関する論争

法隆寺は長年、創建当時からそのままずっと残されているものとして語られてきましたが、近年になって研究が進むにつれ、日本書紀にある670年(天智9年)の火災でほとんどが消失し、その後に再建されたとする説が有力になってきました。最近では建物に使用されている材木の年輪を調べるなどの精密な調査が行なわれ、再建設が特に有力として語られていますが、幾つかの疑問点も残されており、確証は得られていません。

法隆寺/金堂と五重塔
法隆寺/金堂と五重塔

大修理・疎開・復元

菩提
菩提

法隆寺は7世紀頃に創建されて以降、長年この場所に現存し続けていますが、すべてがそのまま維持されているわけではありません。過去には何度か修理の手が加えられています。

歌舞伎パンダ

1606年(慶長11年)には、豊臣秀頼により「慶長大修理」が行なわれました。法隆寺を含め広範囲に渡って行なわれたとされるこの大修理は、父である豊臣秀吉の菩提を弔うためとして行なわれたもので、豊臣家の潤沢な財産が投じられたと伝わっています。この修理では、当初の姿を損なうような修理が行なわれたとされていますが、その後も長年に渡って法隆寺が維持できた要因のひとつとして語られています。

次には江戸時代1692年(元禄5年)から15年間に渡って、3代将軍・徳川家光の側室、桂昌院による大修理が行なわれました。この修理では、特に五重塔に力が入れられたとされています。

そして、1934年(昭和9年)には「昭和の大修理」と呼ばれる修理が大規模に行なわれました。この修理は20年にも渡って行なわれたもので、これによって当初の姿に近い状態へ復元できたとされています。また、修理に合わせて周囲の発掘も行なわれ、日本の歴史を研究する重要な資料として再確認されています。

なお、修理の最中に第二次世界大戦が勃発し、その戦火が本土に及ぶ危険性が指摘されたことから、解体していた部材の一部が疎開するなどしています。

法隆寺公式サイトhttp://www.horyuji.or.jp/

法隆寺に深くかかわった聖徳太子

法隆寺にかかわった人物として最も著名なのは聖徳太子です。聖徳太子は用明天皇の第二王子として生まれた飛鳥時代の皇族でした。政治家として遣隋使を派遣するなどして中国大陸にある文化を積極的に日本へ取り入れ、国家の体制を整えた偉人として知られています。

そして、「冠位十二階」や「十七条憲法」などの制定と並び、仏教を篤く信仰した聖徳太子によって成し遂げられたのが法隆寺の創建です。

現在の研究では、聖徳太子は実在しない、フィクションの人物であるとする説もありますが、数々の偉業が記録されていることから、少なくともモデルとなった人物が実在していたであろうと考えられています。

聖徳宗と聖徳太子

法隆寺三経院及び西室
法隆寺三経院及び西室

聖徳宗(しょうとくしゅう)は、日本に幾つかある仏教宗派のひとつで、宗教法人に認可されています。仏教に熱心だったと伝えられる聖徳太子を宗祖としており、法隆寺を総本山としています。また、聖徳太子が著したとされる「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を経典(現存する日本最古の書物と伝えられています)としています。

なお、聖徳太子は仏教を日本で興隆させた立役者として見られていることから、聖徳宗に限らず仏教にかかわった偉人として語られるのが一般的です。

法起寺とは

「法起寺(ほうきじ)」とは、法隆寺と同じ奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の寺院です。法隆寺と並んで法起寺にある三重塔が世界遺産(文化遺産)として登録されています。

この地域には古くから7世紀頃に造られたとする寺院が多数残されており、日本における仏教興隆の中心地として研究が進められています。それら寺院の中でも法起寺にある三重塔は特に建築年が古く、創建当時から残されている貴重なものだとして世界遺産に登録されることになりました。

法起寺にある高さ24mの三重塔は、706年(慶雲3年)に完成したと伝えられており、現存する三重塔として日本最古のものだとされています。

なお、法起寺は元々「ほっきじ」と読まれていましたが、現在は法隆寺の「法」と読み方を合わせ、「ほうきじ」とされています。「ほうきじ」と呼ばれる以前から法起寺になれ親しんだ地元の人からは今でも「ほっきじ」と呼ばれることがあります。

法起寺公式サイトhttp://www.horyuji.or.jp/hokiji.htm