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荒地を開いて建てられた寺内町 富田林(大阪府富田林市)

富田林市富田林地区は、富田林寺内町(じないまち)とも呼ばれ、16世紀中頃に京都の興正寺第一六世の証秀上人が荒地を開き御堂を建て、この地を富田林と呼んだことが由来とされています。

青空に白壁が映える町

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領主が保護した商人の町 富田林

平成9年10月31日選定

富田林 弥生時代には石器が大量に生産されていた程、富田林は古くから繁栄した町です。大陸からの仏教文化が花開いていた他、平安時代から室町時代にかけては現在も残る神社が多く建造されました。戦国の世が落ち着き始めた1560年(永禄3年)に証秀上人が「富田の芝」と呼ばれていた荒地を買い、近隣の庄屋株(八人衆)や信者たちと共にこの荒れ地を開拓。その中央に建てられたのが興正寺別院(富田林御坊)です。
興正寺別院を中心にした七筋八町に集まってきた商人は、領主が出した特殊な政令によって保護され、租税を免除されていました。このため、田地を持たずに商いをしている商人たちや熱心な信者たちが各地からこの地へ越してきて、寺内町は着々と商業都市として発展していきました。

寺内町の成立と発展の中心地 興正寺別院

重要文化財

興正寺別院(重要文化財) 地元の人々から「御坊さん」と呼ばれ親しまれている興正寺別院(富田林御坊)は、富田林地内町の発祥とその発展の中心となった寺院です。浄土真宗(一向宗)の寺院本堂として大阪府最古の建造物であることや、450年前の伽藍配置が良好な状態で保存されていることなどの理由で、2014年(平成26年)に重要文化財に登録。興正寺別院本堂の他は、対面所、鐘楼、鼓楼、山門、御成門の計6棟が同時に重要文化財に指定されました。
本堂の特徴のひとつは、参拝するスペースの外陣(げじん)が仏様を祀る内陣に対して大きいことです。これは道場として建立されたことによるもので、なるべく多くの参拝者を入れることができるようにしたものです。内陣では本尊の阿弥陀如来立像、親鸞上人像、ここを開いた証秀上人像、華園摂信像が安置されています。
また山門は京都の興正寺北門を移築したものであり、元は城門であったため建物規模の大きさが目を惹きます。このことから門前の通りは「城之門筋」と呼ばれています。

造り酒屋の豪壮な構え 旧杉山家住宅

重要文化財

旧杉山家住宅 この地を開いた証秀上人によって集められ、寺内町の造営の中心であった八人衆のうち、筆頭年寄であったのが杉山家です。杉山家では当初は木綿問屋を営んでいましたが、江戸時代になるとこの家で造り酒屋を営むようになり、河内の酒造業をリードしてきました。最盛期には使用人だけで70人を超える程であったと言われており、明治時代まで操業していた大商家です。
現存する家屋は富田林寺内町で最も古く、かつ最も大きなもので、屋敷地は430坪を数える程、広大。南河内地方を代表する豪壮な農家風建築様式の構えや、4層に畳み込まれた母屋の大屋根などからは江戸時代中期の繁栄を今でもうかがい知ることができます。中でも大床の間に描かれている襖絵は狩野派の絵師によるものであると言われ、往時の繁栄ぶりが偲ばれます。1983年(昭和58年)に国の重要文化財に指定されたのち、富田林市が買い取り、解体修理工事を経て1987(昭和62年)から一般に公開されるようになりました。現在でも富田林寺内町のシンボルとして圧倒的な存在感を感じさせます。

珍しい三階蔵が目を惹く 葛原家

重要文化財

葛原家 旧竹林院は延暦寺里坊のひとつであり、邸内には母屋の南西に約3,300平方メートルの庭園が広がっています。庭園には、八王子山を借景に地形の高低差を活かして築かれた滝組や築山が配され、2棟の茶室と四阿(あずまや)があります。
この庭園は江戸時代初期に築かれた物で、里坊内の庭園、つまり仏教関連施設でもあるため、明治維新直後の廃仏毀釈の影響により他の仏教施設と同様に廃れていきました。しかし、その結果、竹林院は個人の所有へと変わり、この所有者によって改修されていった経緯があります。
現在の庭園は主に大正時代に整備された物であり、近代庭園として国の名勝にも指定されています。茶室や四阿は大正時代の建築であり、共に大津市指定文化財にも選定されています。