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延暦寺と日吉大社の門前町 坂本(滋賀県大津市)

大津市坂本は比叡山延暦寺や日吉大社の門前町として古くから栄えていた町であり、日吉大社の参道の両側には比叡山の里坊(隠居した僧侶が人里に構える住宅)が並ぶため、「里坊群・門前町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

琵琶湖に映す比叡の町並

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高齢の僧侶が住んだ「里坊」の町 坂本

平成9年10月31日選定

坂本 平安時代初期に最澄によって天台宗の本山として建てられた比叡山延暦寺の東山麓、琵琶湖に面しているのが坂本です。坂本には全国から物資が集まり、延暦寺や日吉大社門前の港町として発展。中世には近江国最大の都市となるまで栄えましたが、安土桃山時代の1571年(元亀2年)、延暦寺と対立していた織田信長による「比叡山焼き討ち」の際には大きな被害をこうむりました。その後、豊臣秀吉によって町の再興が進められ、「里坊」が作られるようになり、高齢の僧侶が比叡山から坂本へ移住するようになりました。これらの里坊を中心とした貴重な建造物は現在でも町のあちこちに残されています。
また坂本の穴太(あのう)地区には「穴太衆」と呼ばれる石垣職人の集団が住んでいたため、石垣によって形成された街路が随所に見られます。穴太の石垣建造技術は各地で評判が高く、安土城をはじめとして江戸時代初頭までの築城に多く用いられたことでも有名です。

2100年の歴史を持つ神社 日吉大社

国の史跡、重要文化財

日吉大社(国の史跡、重要文化財) 全国におよそ2,000社存在する日吉神社・日枝神社・山王神社の総本山が、日吉大社です。そのため「山王權現」とも呼ばれています。「古事記」の記述によると、元々は比叡山の山頂にあった社ですが、紀元前91年(崇神天皇7年)に現在の麓の地に下ろされたとされています。桓武天皇による平安京遷都が行なわれた際には、この地が京から見た鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの神社として多くの崇敬を集めることとなりました。
また日吉大社も比叡山焼き討ちの際に炎上し、その後1586年(天正14年)から再建が始められ、現在の建物はそのときに再建された建造物です。織田信長が本能寺の変でこの世を去ると、豊臣秀吉や徳川家康などによって篤く信仰され、特に秀吉は日吉神社のみならず坂本の町の再興に尽力したとされています。
境内には安土桃山時代に建造された貴重な文化財が多く残されており、西本宮本殿と東本宮本殿は共に国宝に指定されている他、西本宮・東本宮の拝殿・楼門、石で造られた日吉三橋、宇佐宮・樹下神社・白山姫神社・牛尾神社といった摂社の本殿や拝殿など、多数の建造物が国の重要文化財に指定されています。

家康の側近・天海上人を祀る 慈眼堂(じげんどう)

慈眼堂(じげんどう) 日吉大社から300メートル程南には、権現造の発祥であり「関西の日光」と呼ばれる日吉東照宮があります。ここには豊臣秀吉や徳川家康が祀られており、家康に仕えた天海上人(慈眼大師)が建てたとされています。天海は天台宗の高僧で、家康の側近として江戸幕府初期の様々な政策に大きく関与していたとされる人物です。家康の死後も二代将軍秀忠や三代家光まで徳川家に仕えており、比叡山焼き討ち後の坂本の復興に尽力した人物の一人です。
日吉東照宮から権現馬場を少し下った場所にあるのが、天海の廟所である慈眼堂です。天海は江戸時代初期の1607年(慶長12年)から比叡山南光坊に住んでいましたが、その任務は家康の参謀として幕府と朝廷との交渉役である「比叡山探題」でした。しかし天海の働きは非常に幅広く、家康から日光二荒山神社の貫主を拝命し、江戸の都市計画にも深くかかわり、さらには延暦寺の役割を江戸に模した寛永寺を建て、家康の神号を「東照大権現」と定めるなど、八面六臂の活躍を見せた謎の怪僧と言われています。
慈眼堂には天海の他、延暦寺歴台座主の廟も並べられており、坂本の地と天海がいかに緊密な関係であったかが推測されます。

旧里坊内の近代庭園 旧竹林院庭園

旧竹林院庭園 旧竹林院は延暦寺里坊のひとつであり、邸内には母屋の南西に約3,300平方メートルの庭園が広がっています。庭園には、八王子山を借景に地形の高低差を活かして築かれた滝組や築山が配され、2棟の茶室と四阿(あずまや)があります。
この庭園は江戸時代初期に築かれた物で、里坊内の庭園、つまり仏教関連施設でもあるため、明治維新直後の廃仏毀釈の影響により他の仏教施設と同様に廃れていきました。しかし、その結果、竹林院は個人の所有へと変わり、この所有者によって改修されていった経緯があります。
現在の庭園は主に大正時代に整備された物であり、近代庭園として国の名勝にも指定されています。茶室や四阿は大正時代の建築であり、共に大津市指定文化財にも選定されています。