観光施設(旅行)ホームメイト・リサーチ

観光施設(旅行)ホームメイト・リサーチ

ご希望の観光施設(旅行)を無料で検索できます。

碁盤の区割りの「但馬の小京都」 出石(兵庫県豊岡市)

豊岡市出石(いずし)は江戸時代初期に築かれた出石城と、築城と共に整備された城下町です。碁盤の目の町割には近世後期の武家屋敷や寺社、明治時代の寺院や町屋などが建ち並んでおり、「但馬の小京都」とも呼ばれています。

出石

再生リストはこちら

但馬国東部の中心的城下町 出石

平成19年12月4日選定

南北朝時代の1372年(応安5年)、但馬国守護である山名時義が此隅山(このすみやま)城を築きましたが、その後の安土桃山時代の1569年(永禄12年)には羽柴秀吉に攻められて落城。そこで山名祐豊(すけとよ)は此隅山城の南のより急峻な有子山に新たな城を築き、本拠を移しました。これがのちに出石城となる有子山城です。
江戸時代に入って間もない1604年(慶長9年)、小出吉英により有子山城の山上の丸と天守が廃され、山麓の曲輪と館を居城とし、この際に「出石城」と改名されて幕府に届けられました。小出吉英は城郭を山頂付近から麓の方へと移動させるように、稲荷丸、本丸、二の丸、三の丸などを整備していき、さらに平地に碁盤の区割りの城下町も整備。その出石城はのちに仙石氏の居城となり、出石城下町は但馬国東部の中心地として栄えていきました。
しかし1876年(明治9年)に起こった大火により町の建造物の約8割が消失。幸い焼失を免れた武家屋敷や寺社をはじめ、大火後に建設された明治時代の建造物は現在でも残されており、その城下町ならではの景観保護が求められています。

日本最古の時計台 辰鼓楼

辰鼓楼 豊岡市役所出石総合支所の敷地の北西部にそびえ立つのが、明治時代初期に建てられた時計台・辰鼓楼(しんころう)です。旧出石城 三の丸大手門の脇に建てられた建造物で、1871年(明治4年)の建造当初は午前7時から9時にかけて城主が登城することを知らせるための太鼓を叩く楼閣でした。その後、旧出石藩医である医師・池口忠恕が大病を患ったときに、彼を慕う多くの人々が快復の願掛けをしたことに感謝し、池口は1881年(明治14年)にこの楼閣の上にオランダ製機械式大時計を寄贈しました。これが現在見られる辰鼓楼の姿であり、独立した民間の洋式時計台としては日本最古の時計台です。
辰鼓楼は町の時計台として人々に愛され続け、かつてこの地にあった弘道小学校の児童たちが機械式時計のおもりを掛け替える仕事をしていました。現在の時計は池口の寄贈から数えて3代目の物で、出石のランドマークとして今も健在です。

江戸時代のお家騒動の舞台 出石家老屋敷

出石家老屋敷 辰鼓楼の西側には、内町通に面して出石家老屋敷があります。この辺りは江戸時代後期、家老級の上級武士が居住していた地域で、出石家老屋敷も文字通り家老の居宅でした。内町通沿いの白亜の土塀と重厚な長屋門の内部には、外見は平屋建に見えますが実際は不意の襲撃に備えた隠し2階が設けられた母屋が構えられています。室内での抜刀が行ない難いようにするため天井は低く、また屋根上への通路もあります。
この屋敷は、出石藩筆頭家老・仙石左京の屋敷跡に建っていることから、「左京屋敷」とも呼ばれています。仙石左京は江戸時代後期に出石藩で起きたお家騒動「仙石騒動」の中心的人物であることから、屋敷には仙石騒動の資料や、無形文化財に指定されている大名行列道具などが公開されています。

100年以上の歴史を持つ劇場 永楽館

永楽館 永楽館は1901年(明治34年)に竣工した劇場で、現地に現存する劇場としては日本最古の建築物です。建築主は染物商の小幡久次郎であり、生まれ育った出石に娯楽の殿堂を造るべく私財を投じて建設。出石藩主である仙石氏の家紋「永楽銭」にちなんでこの芝居小屋を「永楽館」と名付けました。建設後すぐに出石のみならず但馬地方の芸能文化の中心拠点として、歌舞伎や剣劇、落語などの公演で賑わい、その盛況ぶりは遠く大阪や京都から役者や芸人が足を運んでいた程で、その他、出石が生んだ反戦の衆議院議員・斎藤隆夫の演説会なども行なわれていました。1930年(昭和5年)からは映画館としても利用され、戦後は映画上映が中心でした。
高度経済成長期に入ると、テレビの普及や多様化した娯楽などの影響を受けて観客数が減少。1964年(昭和39年)に劇場としての利用を終え、1973年(昭和48年)に閉鎖となりました。
しかし、1998年(平成10年)に当時の出石町の文化財に指定されたことを受け、2006年(平成18年)から創建時の姿への復元工事が始まり、2008年(平成20年)8月1日に劇場として蘇っています。