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まとまって残っている近世以前の町並 今井町(奈良県橿原市)

>橿原市今井町は、戦国時代に作られた寺内町が原型となった町で、現在でも近世以前の町並がまとまって残されています。外側を大壁で包んだ古い町並や、外周の環濠跡がこれ程残っている例は少なく、貴重な地区のひとつです。

今井町

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要塞都市から発展した自治都市 今井町

平成5年12月8日選定

もとは湿地帯であったと推測される今井町ですが、中世において近くの八木の町が交易の中継地点として栄え、それに伴って隣接する今井も繁栄。永禄年間(1558年~1570年)には中世の環濠集落を整備し、称念寺を中心とした寺内町が建設されました。その後、織田信長と浄土真宗本願寺勢力との戦いの中で、より深い堀や高い土塁、見通しを防ぐ筋違いの道路などが築かれ、今西家を城構えとした自衛のための要塞都市として整備が進行。信長との和解が成立するとこの地に自治権が認められ、和泉国の堺と並び、今井は自治都市として江戸時代末期まで繁栄していくこととなります。
第二次世界大戦後に今西家が国の重要文化財に指定されたことから町並保存が始動。行政や学者が主体の保存運動は徐々に地域住民に浸透していき、1993年(平成5年)に橿原市の伝統的建造物保存地区に、そして国の重要伝統的建造物保存地区に選定されました。

堂々たる城郭風建築物 今西家住宅

重要文化財

今西家住宅(重要文化財) 今井町環濠集落の西端にあるのが今西家住宅。要塞都市の西の砦としての堂々たる風格を持つ、この地を代表する建造物です。
今西家は代々惣年寄の筆頭を務めてきた家であり、自治都市である今井町の自治権も委ねられていました。もとは川合姓を名乗っていましたが、1621年(延宝7年)に、その6年前に起こった大坂夏の陣での功績が讃えられ、「今井町の西を守った」意味で「今西」姓を名乗ることとなりました。
現在の建物は1650年(慶安3年)に改築されましたが、今西家の住宅としての機能に加えて裁判所としても利用されたため、堂々とした城郭風の威容を誇る建築物です。白漆喰塗籠(ぬりこめ)の美しい外観と、大棟の両端に段違いに設けられた小棟が作る変化、そして前後喰い違いに設けられた入母屋造の破風などは、まさに要塞都市の顔としての存在感を醸し出しています。
建築後は何度も瓦の吹き替えが行なわれた痕跡が残っており、他にも壁や軒裏など、破損のたびに修理が施されたことが分かっています。1957年(昭和32年)に国の重要文化財に指定されたのち、根本的な修理が行なわれ1962(昭和37年)に竣工しました。

「敷居が高い」の語源となった商家 豊田家住宅

重要文化財

豊田家住宅(重要文化財) 今西家のやや東、御堂筋沿いにあるのが豊田家住宅です。今井町の中では今西家に次いで古い建造物で、1662年(寛文2年)に建てられました。1972年(昭和47年)5月15日に重要文化財に指定されたこの建造物は、入母屋造の屋根に本瓦葺きで軒が高く、梁や腕木を側柱筋より外に突き出した「出桁造り(だしけたづくり)」の2階軒を持った豪壮な外観が特徴。もとは木材商であり金融業を営んでいた牧村家が所有していた建物でしたが、この牧村家は福井藩主松平春嶽に貸し付けて福井藩の蔵元も務めた程の豪商でした。しかし明治維新後、廃藩置県によって福井藩への貸付金が凍結されてしまったため、債権は放棄されてしまいました。
母屋の南側の道路に面した壁には、木材商の家らしく、2階の正面に「木」の字を丸で囲った紋が堂々と飾られています。区画の南東角地に建つ母屋の東側は、土間と下店であり、六間取りの広さを持つ整った居間部とで構成。納戸の敷居は一段高くなっていますが、この家の敷居から「敷居が高い」という言葉が生まれたと言われています。

珍しい三階蔵が目を惹く 称念寺本堂

登録有形文化財

称念寺本堂(登録有形文化財) 浄土真宗本願寺派の寺院で、今井町はこの称念寺を中心に発展。室町時代末期の永禄年間(1558年~1570年)に念仏道場として建てられたのが始まりで、その後、堀や土塁が築かれ、この御坊を中心に寺内町が整備されていきました。この町の政治の中心地としての役割も持っていた寺です。1600年(慶長5年)頃に名を現在の「称念寺」と称したと考えられています。
江戸時代初期に建造されたとされる本堂は、2002年(平成14年)5月23日に国の重要文化財に指定されました。浄土真宗初期の建築様式が見られ、入母屋造・本瓦葺・向拝(こうはい)付きの堂々たる建築物であり、外回りには角柱が並べられています。本堂の他にも橿原市指定文化財に登録されている太鼓楼、庫裡(くり)・客殿、対面所などの建物もあり、これらは後世に改築された痕跡は認められますが、17世紀初頭に建造された物と考えられています。