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近江商人発祥の地 五個荘金堂町(滋賀県東近江市)

五個荘金堂町(ごかしょうこんどうちょう)は、古墳時代や奈良時代の遺跡が発掘され、条里制の区割りも残されている、非常に長い歴史を持つ町です。江戸末期から昭和戦前期にかけて活動した近江商人の発祥の地とされ、今でも商人屋敷や寺院仏閣が建ち並んでいます。

成功した商人が守った故郷 五個荘金堂町

平成10年12月25日選定

五個荘金堂町 江戸時代初頭、この地は幕府領でしたが、1685年(貞享2年)以降は、幕末まで郡山藩の領地となりました。郡山藩は古代からの条里制の区割りを守りながら金堂村に陣屋を置き、陣屋の三方に勝徳寺・弘誓寺・安福寺を配置し、その周りに民家街を構築。つまり、金堂陣屋を中心とした集落が形成されていったのです。この集落構成は現在でも町の区割りの基本となっています。
金堂村では農家で稲作が営まれてきましたが、江戸時代中期以降、農業の傍らの副業として行商に出る者が現れてきました。その商圏は次第に広がり、京・播磨国・紀伊国といった畿内各国のみならず、上野国・下野国・武蔵国・甲斐国などの関東地方や陸奥国などの東北地方にまでも拡大。これら商人の成功は故郷である金堂村にも好影響を及ぼし、これが、この地の優れた景観を発展させた要因でした。
五個荘金堂町の特徴のひとつに、商家建築と農家建築が混在し寺院を中心とした集落であることが挙げられます。昭和後期の1980年代頃からその景観を保全する運動が高まり、行政と地元住民の協力によって貴重な商家などの保存や観光資源化が進行。そして1998年(平成10年)12月25日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

この地が生んだ小説家の生家 外村繁邸

外村繁邸 外村繁(とのむらしげる)は昭和初期から中期にかけて活躍した小説家ですが、五個荘金堂町で江戸時代から代々続く木綿問屋に誕生。その生家が、「五個荘近江商人屋敷・外村繁邸」として現在も公開されています。
外村家は外村与左衛門を当主とする家で、初代から4代目までは農家として生計を立ててきましたが、5代与左衛門から商業を始め、「布屋」「近江屋」の屋号を名乗りました。5代与左衛門が創業した総合繊維商社の「外与」は、外村与左衛門を略して付けられた屋号です。
その外村与左衛門一族である4代外村宇兵衛の妹「みわ」に婿養子を迎え、分家したのが現在の外村繁邸。当時の生活空間が公開されており、見事な庭園を備えた商家の往時を偲ぶことができる他、蔵では外村繁文学館として繁にまつわる資料が展示されています。

明治期の近江商家の姿 外村宇兵衛邸

外村宇兵衛邸 6代外村与左衛門の末子が分家して興したのが外村宇兵衛家で、現在でも五個荘金堂に残っています。宇兵衛は江戸時代後期の1813年(文化10年)に与左衛門との共同事業から独立をして商いを始めました。努力の末に宇兵衛の商圏は広がっていき、東京、横浜、京都、福井などに支店を持つまでに発展し、明治時代には長者番付にも名を連ねた程の名実共に豪商へと成長した人物です。商売が成功するにつれて宇兵衛の屋敷は立派になっていき、その庭の豪勢さは当時の神崎郡で一番との評判もありました。
現在の外村宇兵衛邸は明治時代の姿に修復され、茶屋・四阿(あずまや)・母屋・庭などからは、全国に名を馳せた近江商人が実生活を送っていた息吹を感じることができます。

戦前アジアを席巻した百貨店王の邸 中江準五郎邸

中江準五郎邸 日本全国に商圏を拡大していった近江商人の勢いは、明治時代末期に朝鮮半島や中国大陸にも延びていきました。その代表格が「三中井(みなかい)百貨店」です。1905年(明治38年)に大韓帝国の大邱(テグ)に三中井商店を設立し、1911年(明治44年)には京城(現在のソウル)に本拠を移して営業を開始。その後は朝鮮半島一帯から満州・中国大陸に店舗展開をする百貨店チェーンとなり、その勢いは終戦まで続きました。
その三中井百貨店の創業者は五個荘金堂の中江家4兄弟で、末弟である準五郎の本宅が、現在でも残されて公開されています。近代近江商人の本宅の典型とも言われるこの屋敷は1933年(昭和8年)に建築され、庭園や白壁の蔵などに戦前の近江商人の繁栄ぶりがうかがえます。また、蔵の内部には五個荘の郷土玩具や人形が多く展示されています。