ご希望の観光名所/旅行/温泉/レジャー情報を無料で検索できます。

施設検索/ホームメイト・リサーチTOP

ホームメイト観光名所/旅行/温泉/レジャーリサーチ
観光名所/旅行/温泉/レジャー
トップページへ戻る
トップページへ戻る

観光情報

日本の観光施設を巡る
「小田原城(神奈川県)」



小田原城は、室町幕府の御家人・伊勢氏の系統をひく北条氏(小田原北条氏)が、5代約100年にわたって関東での勢力を拡大させる拠点となったところで、戦国時代の終焉となった豊臣秀吉による小田原攻めの舞台でもあります。その後、大久保氏、稲葉氏の代で近世城郭に生まれ変わり、江戸時代を通じて、最重要交通路であった東海道の箱根の関所を管理する関東地方の防御の要として機能した城です。

北条の居城から近世城郭へ

北条の居城から近世城郭へ

15世紀末に伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、関東の一大勢力であった北条氏が5代約100年にわたって関東で勢力を拡大しました。小田原城は、その北条氏によって関東支配の中心拠点として整備拡張された城で、当時は、豊臣秀吉の襲来に備え、城下をぐるりと囲む総延長9kmにも及ぶ総構(そうがまえ)の城だったようです。しかし、1590年、秀吉が総石垣の「石垣山一夜城」を築城し、そこを本陣に水陸15万の大軍を率いて包囲した小田原攻めにより北条氏は滅亡。ここに戦国時代は終焉を迎えました。

江戸時代に入り、徳川家康の支配するところとなった小田原城は、その家臣大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修され、さらに稲葉氏の代で再整備されています。

現在の小田原城は、1873年(明治6年)の廃城令により多くの建物が解体され、さらに1923年の関東大震災で御用邸や石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまったため、昭和に入り再建されたものです。

小田原城の見どころ

近世城郭の縄張を歩く

大手門跡から復元された馬出門(うまだしもん)、馬屋曲輪(うまやくるわ)、銅門(あかがねもん)、二の丸、常盤木門(ときわぎもん)、本丸への登城ルートを歩くと、近世小田原城の縄張(城の設計プラン)がわかりやすく、おススメです。

北条氏の時代の総構遺構

小田原城から西の小峰御鐘ノ台付近には、北条氏がつくった総構の大堀切や土塁が良好な形で残っており、見学することができます。この堀は非常に大きく、この大きさで延長9kmにもわたって巡らされていたことを思うと、その壮大さにびっくりします。豊臣軍は、この堅固な総構をついに突破することができず、石垣山一夜城を築くなど、不本意な持久戦に持ち込まざるを得なかったのです。