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「会津若松城(福島県)」



会津若松城は、豊臣秀吉の命で奥州の抑えとして黒川城に入った蒲生氏郷が大改造を行ない、七重の天守を築き、城下町を整備し、町の名を黒川から若松に改めた起点となった城です。本丸を取り囲む3つの曲輪で守る雄大なスケールの実践的な縄張(城の設計プラン)が特徴で、戊辰戦争で攻められたとき、官軍を一兵たりとも城内に侵入させず、1ヵ月耐え抜いた堅城としても知られています。

戊辰戦争の攻防戦に耐えた名城

戊辰戦争の攻防戦に耐えた名城

会津若松城は、別名「鶴ヶ城」として呼ばれ、1384年に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛(あしななおもり)が築いたのが始まりと言われます。その後、蒲生氏郷が豊臣秀吉の命で奥州の抑えとして入り、1572年から七重の天守を築くなど大改造を行ないます。現在のような城のつくりに変えたのは、加藤氏の代で、天守は五重に改修されました。戊辰戦争では約1ヵ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。

明治時代の1874年に取り壊されましたが、1965年に再建、2001年には天守閣に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が江戸時代の工法・技術を用いて復元されました。2010年には幕末当時の赤瓦へのふき替えが完了し、現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣となっています。

会津若松城の見どころ

天守と天守台石垣

天守台石垣は蒲生氏による野面積(のづらづみ)で、必見のポイントです。天守の赤瓦は、寒冷地対策として赤瓦が用いられたものです。

大手門と北出丸(きたでまる)の石垣

会津若松城の「北出丸」という大手口を守る重要な場所があり、大手門に入るにはこの北出丸の縁をコの字状に回る必要があります。その間、北出丸から絶え間なく側射が浴びせられる仕掛けになっています。その効果は、戊辰戦争で大いに発揮され、官軍は大手門の場所がわからず、北出丸からの射撃で大手門に近づくこともできなかったという逸話が残っています。

廊下橋と高石垣

「廊下橋」は、本丸から二の丸へ通じる朱塗りの橋で、加藤氏による大改修までは大手口だったところです。蒲生氏のときには、屋根のついた廊下づくりだったため、この名がついています。廊下橋は加藤氏による改修で普通の橋に架け替えられていますが、この橋を落とせば侵入は不可能に近く、重要な防御橋であったことがわかります。

また、約19mもある高石垣も見どころで、扇の勾配(おおぎのこうばい)と言われる防御機能を誇った石垣です。

移築された「御三階(おさんかい)」

会津若松城の現存建物として本丸にあった「御三階」が、明治維新後に会津若松市七日町の阿弥陀寺に移築され、残されています。密議に利用され楼閣状建物です。