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観光情報

日本の観光施設を巡る「名古屋城(愛知県)」



尾張徳川家の居城であった「名古屋城」は、「尾張名古屋は城でもつ」とうたわれた城。「もつ」とは「保つ」の意味で、「尾張の名古屋は名古屋城のおかけで繁栄している」とうたわれたわけです。徳川家康が天下統一の「最後の布石」として築くため、当時最高の技術者を日本中から結集してつくりあげた名城です。

日本中から集めた最高の技術者集団により完成

日本中から集めた最高の技術者集団により完成

日本100名城に選定され、国の特別史跡に指定された名古屋城は、徳川家康が対抗する豊臣家の大坂城を包囲するための拠点として構想されたのが始まりです。築城に際して、日本中から腕の良い職人を集められました。そして1610年、築城の天才と言われた加藤清正をはじめ西国・四国・九州の外様大名20名を擁して、石垣や堀の土木工事が始まりました。その翌年の1611年には、幕府直轄工事として、作事奉行に小堀遠州ら9名、御大工頭には天下一を意味する「一朝惣棟梁(いっちょうそうとうりょう)」の称号を得ていた中井大和守正清が担当したと言われています。

近世城郭御殿の頂点「本丸御殿」

1615年の大阪冬の陣直後には、近世城郭御殿の最高傑作と言われた「本丸御殿」が完成しています。「本丸御殿」は、その後、1634年の上洛殿(御成書院)、上御膳所、黒木書院、御湯殿書院などの増築でさらに進化を遂げます。中でも上洛殿は、幕藩体制を確立した将軍徳川家光を迎えるための最も格式の高い建物として造営されたものです。そのため、障壁画や欄間彫刻、飾金具に至るまで当時の最高の技術が注がれました。障壁画は、当時の最高峰の絵師、狩野探幽と彼の一門が担当、欄間彫刻は、尾張藩御大工頭沢田庄左衛門と幕府官匠として江戸建築界をけん引した平内正信が担当しました。

名古屋城築城が生んだものづくり王国

「尾張名古屋は城でもつ」とうたわれたのは、名古屋城の築城のために高い芸術性と技術力を持った人々が日本中から名古屋に集い、天下の名城と城下町を作り上げたことから生まれた言葉です。腕のよい職人たちが、名古屋発展の礎を築いたと言っても過言ではありません。そして腕のよい職人と良質な木材によって育まれた名古屋城下の木材加工技術は、明治時代から始まる近代産業の発展につながっています。仏壇・仏具、桐箪笥、合板、楽器(ヴァイオリン、ギター)などの産業を育て、それが鉄道車両(木製車体)、織機、自動車(木製ボディ)、航空機などの製造に応用されていきます。まさに「モノづくり王国・名古屋」の原点の物語が名古屋城築城にはあったのです。

名古屋城の見どころ

金のシャチホコのまたがり撮影が可能?!

天下普請で建てられた名古屋城も、1945年、第二次世界大戦の名古屋空襲により、天守閣や本丸御殿はじめ建物のほとんどを焼失。幸いだったのが、江戸時代の文献の他、多くの写真、実測図が残り、在りし日の姿を忠実に蘇らせることが可能だったこと。天守閣は、コンクリート造りによる模擬建築ですが、1959年に再建されています。名古屋城の天守閣といえば、そう「金のシャチホコ(金鯱)」。天守大棟に載っているものですが、何と、天守閣内部のミュージアムで、この実物大模型にまたがり記念撮影をすることができます。

着々と復元が進む本丸御殿

今、名古屋城観光で最もおススメなのが、焼失を免れた文献や実測図・古写真・障壁画などをもとに進められている本丸御殿の復元工事の見学です。近世城郭御殿の最高傑作であり、国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧と言われていた名古屋城の本丸御殿がどのようによみがえるのか、着々と進むその過程を見学することができます。