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観光情報

日本の観光施設を巡る「江戸城(東京都)」



城とその城下町を囲む一帯である総構(そうがまえ)を入れると、東京23区の千代田区がすっぽりと収まるほどの大きさを持つ「江戸城」。言わずと知れた徳川幕府の本城で、現在はその一部は皇居となっています。

家康・秀忠・家光三代で完成

家康・秀忠・家光三代で完成

そもそもの江戸城は、徳川家によって開かれた城ではありません。1457年に太田道灌(おおたどうかん)によって築城された城で、その後、北条氏によって改修され、使用されていましたが、豊臣秀吉の関東制圧に伴い、徳川家康が関東を与えられて、その居城となったのです。

家康は当初、江戸城の改修に積極的ではなかったようです。しかし1603年に幕府を開いてからは、大規模な築城を進めます。1606年には、本丸を築き直し、最初の天守が建設されます。家康の命により創建されたこの最初の天守は、徳川家の権力を象徴するかのように、豊臣秀吉が築城した大坂城の天守をはるかに越える、当時の天守の中では最も大きなものでした。以来、家康、秀忠、家光の3代にわたって全国の諸大名を動員した天下普請によって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行なわれ、1630年代に堅牢な堀と石垣を備えた、徳川将軍家の居城にふさわしい日本一の巨城がその姿を現しました。

明暦の大火で焼失した天守

しかし、1657年、江戸の大火で五層六階の天守をはじめ、本丸・二の丸・三の丸を焼失。以後、天守は再建されませんでした。現在は、富士見櫓、伏見櫓、巽櫓の櫓3基と多聞櫓(たもんやぐら=細長い長屋状の櫓)3基、大手門、平川門、桜田門など多数の城門が残り、石垣と内堀はよく保存されています。

大政奉還により「皇居」へ

1687年の大政奉還により、徳川幕府最後の第15代将軍・徳川慶喜が明治天皇に統治権を返上した結果、1868年(明治元年)に江戸城は皇居となりました。それまで1000年以上にわたって京都御所に住まわれていた天皇家は、明治天皇の代に、この江戸城跡に移られたのです。

江戸城の見どころ

江戸城西の丸にあたる「皇居」

江戸城跡の一部である皇居は、約115万㎡あり、濠で囲まれ周囲には8つの門があります。皇居の中には、天皇・皇后両陛下のお住まいである御所、さまざまな諸行事を行なう宮殿、また宮内庁関係の庁舎や紅葉山御養蚕所などがあり、よく耳にする東御苑もその一角にあります。皇居の一部は、事前申請が必要ですが、無料の一般参観コースがあり見学ができます。桔梗門、富士見櫓、宮殿東庭、正門鉄橋(二重橋)、伏見櫓、宮殿前、山下通り、富士見多聞、宮内庁庁舎、蓮池濠を約1時間15分で巡ります。

江戸城後に現存する唯一の三重櫓「富士見櫓」は、特に必見ポイントです。「八方正面の櫓」の異名の通り、どこから見ても美しい櫓で、天守なきあとは、天守の代用とされたこともあります。

堀のダム機能の見学もできる「半蔵門」

半蔵門の前の内堀に架かる土橋にも注目してみましょう。その左右の堀の水位を見ると、明らかに高低差があります。これは土橋がダムとなって、堀の水位を調整しているのです。

天守跡のある「皇居東御苑」

皇居東御苑は、旧江戸城の本丸、二の丸、三の丸にあたるエリアです。入る門が決められてはいますが、出入りは自由です。ここにもいくつも江戸城の遺構が残っており、皇居とあわせて見学することで、重厚な歴史と巨大な江戸城の残像を感じることができます。

現在残る天守台は、明暦の大火で3代目の天守が焼失したあと4代目の造営に向け、加賀の前田家によって新造されたもの。しかし結局、江戸城の天守が再びその姿を現すことはありませんでした。保科正行が、「ただ眺めるだけの天守に金と時間をかけるのはいかがなものか」と城下の復興を優先させるべきと提案したからだと言われています。当時に思いを馳せることができるエピソードではないでしょうか。

また、江戸城には、他の城ではほとんど残っていない「番所」(見張りなどをする番士が詰める施設)が3つ残っています。大手三の門を守衛した江戸城本丸御殿最大の検問所「百人番所」は、南北に50mほどもある巨大なもので、鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組が交代で詰めていました。各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たったそうです。