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日本の観光施設を巡る
「宗像・沖ノ島と関連遺産群(福岡県)」



500年にわたる国家的な「祭祀(さいし)の変遷」を物語る遺産として、2009年に世界遺産暫定リスト(文化遺産)入りした「宗像(むなかた)・沖ノ島と関連遺産群」。その魅力と観光のおススメポイントを紹介しましょう。

沖ノ島で展開された大陸と日本をつなぐ「祭祀の変遷」

沖ノ島で展開された大陸と日本をつなぐ「祭祀の変遷」

玄界灘の真っただ中にポツリと浮かぶ絶海の孤島「沖ノ島」。この沖ノ島は、九州と朝鮮半島の間の海域に位置することから、中国大陸及び朝鮮半島との交流の成就を願う国家的祭祀が4世紀後半から9世紀末にかけて行なわれていました。実際に、23ヵ所の祭祀遺跡が確認されており、国際色豊かな品々を含む約8万点の遺物(全て国宝)は、大和王権及びその後の律令国家が沖ノ島祭祀に強く関わった事実と中国大陸・朝鮮半島との交流の歴史を如実に証明しています。

現在、沖ノ島のある市の名前にもなっている「宗像」は、この沖ノ島での祭祀を奉斎した「宗像(胸形)氏」に由来するもの。宗像氏を中心とする海の民が、九州本島から朝鮮半島に向かう海の道「海北道中」を守る宗像三女神を信奉し、沖津宮(おきつぐう)、中津宮(なかぐぐう)、辺津宮(へつぐう)の三宮からなる島伝いの壮大な「宗像大社」を成立させたのです。

「宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、沖ノ島と宗像氏の墓域である津屋崎古墳群、そして信仰を継承している宗像大社から構成されており、日本で国家が形成されて以降の500年間にわたる祭祀の変遷過程を確認できるとともに、東アジア世界における海を介した古代祭祀のあり方が規模・内容ともに最もよく保存されている唯一の例です。

沖ノ島に"宝物"が残っていた理由

沖ノ島は、島全体が御神体であり、古くから一般の上陸が制限されていた島。かつては「不言様(オイワズサマ)」とも呼ばれ、「島内の物を持ち帰ってはならない」「島で見たり聞いたりしたことは一切口にしてはならない」といった数々のしきたりによって守り続けられてきたため、これほど多くの宝物がそのまま残っていたと考えられています。

「海の正倉院・沖ノ島」に触れる宗像大社の「神宝館」

沖ノ島は、残念ながら現在でも一般の立ち入りはできませんが、本土の田島に宗像大社の「辺津宮」があり、ここにある「神宝館」では、沖ノ島から出土した約8万点の出土品(全て国宝)が、時代を追って展示されています。出土品には、古くは「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」などの多くの鏡をはじめ、勾玉、鉄製の刀など、また大陸との交流が頻繁に行なわれたことを物語る新羅製の「金製指輪」や「金銅製歩揺付雲珠 (コンドウセイホヨウツキウズ=馬の飾金具)」、ササン朝ペルシア製のカットグラス片などもあり、中国や朝鮮半島の他、シルクロードを通って中東から渡ってきた物も含まれています。一品一品の見ごたえはもちろん、その展示品の多彩さには驚くばかり。ぜひとも訪れてほしい場所です。

宗像氏が眠る「津屋崎古墳群」

5世紀前半から7世紀前半にかけて連綿と築かれた古墳群「津屋崎古墳群」もおススメです。大和王権と密接なかかわりを持つ宗像氏を中心とする海の民の墳墓群と言われ、計60基あります。中でも、玄界灘を望む台地上にある「新原・奴山古墳群」は、5世紀前半から6世紀後半にかけて、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が築かれており、沖ノ島祭祀を発展させた古墳時代の宗像において、「海北道中(うみのきたのみちのなか=本土から大島、沖ノ島、朝鮮半島へとつながる海の道)」を支配した海の民のあり方を最もよく表す古墳群です。