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日本の観光施設を巡る
「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」



1道3県にまたがった縄文遺跡群として2009年に世界遺産暫定リスト(文化遺産)入りした「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」。その魅力と観光のおススメポイントを紹介しましょう。

1万年もの長きにわたり続いた「縄文時代」への開かれた扉たち

1万年もの長きにわたり続いた「縄文時代」への開かれた扉たち

「完新世(かんしんせい)」という言葉を知っていますか? 約46億年前の地球の誕生から現在までのうち、記録の残っている有史時代以前については、発掘された化石や地層などから時代を区分する手法が用いられており、これを地質時代と呼びます。恐竜が生存していた時代として知られるジュラ紀などがそうです。完新世は、その地質時代における最も新しい時代のことで、最後の氷河期が終わり、温暖化が始まった1万年前から現在までを指します。そして、この温暖湿潤な完新世の気候のもとに、約1万年もの長期間にわたって狩猟・漁労・採集を主とした自然と共生する社会をつくり、繁栄・成熟した、世界史上稀有な文化が日本にありました。それが、「縄文文化」です。

この縄文文化を知る考古学的遺跡群は、特にどんぐり類やクリ・クルミが実る豊かな落葉広葉樹の森が安定的に拡大した東日本において傑出して見られ、その代表的なものが、北海道・青森・岩手・秋田の1道3県の15ヵ所の遺跡群からなる「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」です。地球上の「ある文化的地域」において、これだけ長期間にわたり継続した自然と人間の共生のあり方を示す資産として、際立った価値を持っています。

観光という視点から見ても、縄文時代へのタイムスリップ気分を味わえる魅力あふれる遺産たちです。ぜひ、縄文人たちの自然との付き合い方に着目しつつ、楽しみましょう。

日本最大の縄文集落「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」

三内丸山遺跡は、青森市にある、縄文時代前期から中期(7000年~5500年前)にかけて定住生活が営まれた大規模な集落跡です。三内丸山遺跡が栄えたころというのは、世界では、4大文明(黄河文明・インダス文明・エジプト文明・メソポタミア文明)が生まれ、華開いていたころ。ピラミッドやモヘンジョダロのような都市文化遺跡と比べると、ある意味、原始的なイメージがありますが、むしろ、"自然と共生した精神文化"という観点から見ると、非常に豊かで優れた文化が日本で育っていたのです。

≪コレ!知っておこう≫「三内丸山遺跡」の見どころ

三内丸山遺跡は、竪穴住居、成人用土抗墓(どこうぼ)、小児用甕棺墓(かめかんぼ)、掘立柱建物、盛り土、捨て場、粘土採掘穴、貯蔵穴、道路などが計画的に配置されており、公開されているだけで約5万㎡もあり、建物跡や住居跡、盛土、直径2mの柱穴が6個並ぶ大型掘立柱建物跡を見ることができます。また、日本最多の1,600点を超える出土品の中から、土偶や土器、ヒスイなどの装身具も展示。ボランティアによる定時の遺跡案内もあります。

特におススメの見どころは2つ。まず、クリの巨木を使った大型掘立柱建物跡。柱の間隔が一定になるように組まれ、柱の表面は腐食防止対策として火で焦がすなど、当時の技術力の高さや知恵に驚きます。さらにその場で見上げると、空に向かって伸びる木柱の壮大さに思わず口が開いてしまう人も。縄文人はどのような思いでこの柱を建てたのか、知りたい欲求は高まるばかりです。そしてもうひとつが、東西に420m以上も延びる大規模な墓地です。これら2つは他に例を見ないもので、おそらく地域を代表する拠点集落であったと考えられています。

神秘的なストーンサークルが残る「大湯環状列石」

秋田県鹿角市にある「大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)」は、縄文時代後期(約4000年前)の遺跡で、その最大の見どころは、ストーン・サークルです。このストーンサークルは2重になっており、直径44mの「野中堂環状列石」の外側に52mもの「万座環状列石」が配置されています。「万座環状列石」は日本で発見されている中で最大のものです。発掘調査により「集団墓」であることがわかっていますが、どのような目的で、なぜこのような形にしたのかについては諸説あります。隣接する掘立柱建物や周囲から出土した祭祀の遺物などから、葬送儀礼や自然に対する畏敬の念を表す儀式を行なった「祭祀施設」であったのではないかというのが、大方の見方。いずれにせよ、石の精緻な配列など、神秘的で印象に残ります。

江戸時代には輸出もされた超一級芸術品「亀ヶ岡式土器」

縄文時代の名前の由来でもある、独特の綱の模様を好んだ縄文人たち。中でも、青森県つがる市の「亀ヶ岡石器時代遺跡」から出土した縄文時代後期~晩期の「亀ヶ岡式土器」の文化は、遠く近畿・中四国地域や九州地域に至るまで影響を及ぼしましたと言われています。黒漆の地に赤漆で紋様を描いた「らん胎漆器」や「硝子玉」などは精巧で完成度が高く、卓越した芸術性が伺えます。江戸時代には、ここから発掘されたものは「亀ヶ岡のもの」と珍重され、好事家の手によって、江戸や長崎、オランダ辺りにまで輸出されたと言われています。