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「国立西洋美術館(本館)(東京都)」



「ル・コルビュジエの建築と都市計画」のひとつとして、2007年に世界遺産暫定リスト(文化遺産)入りした「国立西洋美術館(本館)」。その魅力と観光のおススメポイントを紹介しましょう。

ル・コルビュジエの傑作

ル・コルビュジエの傑作

20世紀を代表する近代建築の3巨匠のひとりとして名高いル・コルビュジエ(1887~1965、3巨匠の他はミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト)。彼の代表作品のひとつで傑作と言われるのが、1957年に設計され、1959年に完成した東京の上野公園内にある「国立西洋美術館(本館)」です。

国立西洋美術館(本館)は、単体で世界遺産登録を目指すものではありません。フランス政府とル・コルビュジエ財団が中心となり、ル・コルビュジエが設計した代表的な建築作品を一括して世界遺産に登録することが計画され、関係6ヵ国(フランス・スイス・ベルギー・ドイツ・アルゼンチン・日本)に点在するル・コルビュジエの建築作品をフランス政府が取りまとめ、「ル・コルビュジエの建築と都市計画」としての登録を目指すもので、"地域や国の境を超えた世界遺産群"として注目が集まっています。

「無限に成長する美術館」の構想を実現

建築、都市計画に関するル・コルビュジエの作品は、世界各地に残されており、約70件が現存していますが、国立西洋美術館(本館)は、彼が日本で設計した唯一の建造物です。特徴は、「無限に成長する美術館」の構想を実現した美術館であること。ル・コルビュジエは、長年、「無限に成長する美術館」を追求し、そのアイデアを実現した美術館は、世界に3つあり、他に、インドの「サンスカル・ケンドラ美術館」(1957年)と「チャンディガール美術館」(1965年)がありますが、国立西洋美術館は、その中で最も完成度の高い美術館として評価されています。

ココが見どころ!「無限に成長する美術館」とは?

ル・コルビュジエが考えた「無限に成長する美術館」とは、展示空間が渦巻きのように螺旋(らせん)を描きながら延び、美術作品が増えても必要に応じて外側へ増築して展示スペースを確保できるというもの。すなわち、美術館として無限に拡大していくことを可能としているわけです。国立西洋美術館(本館)の建物中央には、天井に三角錐状の採光窓(トップライト)を設けた吹き抜けホール(「19世紀ホール」)があり、1階はその周囲をエントランスホールやサービスエリアが、2階は展示室が取り囲みます。また、19世紀ホール周囲に中3階をめぐらし、この上部に設けられた連続採光窓(ハイサイドライト)からの光を間接的に2階の展示室や19世紀ホールなどに取り入れています。そのため、1階のピロティーを通って入口を入ると、来館者は自然光の差し込む 19世紀ホールへ、次にホール南東に設けた斜路へ、そして2階展示室へと自然と導かれるのです。さらに、右回りに展示室を回り、再び斜路へ到達するよう、2階の窓とハイサイドライトからの自然光が来館者を誘導する手法も取られています。

日仏友好の象徴として誕生した国立西洋美術館

では、なぜ、ル・コルビュジエが国立西洋美術館の設計を担当することになったのでしょうか?

国立西洋美術館の展示品は、株式会社川崎造船所(現川崎重工業株式会社)の初代社長・松方幸次郎が、1916年から約10年間にわたってヨーロッパを訪れては買い集めた「松方コレクション」がもととなっています。当時、松方幸次郎が収集した美術品の総数は1万点に上ると言われていますが、彼がこれほどの膨大な美術品を買い集めたのは自らの趣味のためではなく、日本に美術館をつくり、若い画家たちに本物の西洋美術を見せてやろうという明治人らしい気概を持ってのことでした。しかし、彼のこの思いは1927年の経済恐慌などにより頓挫します。さらに1939年には、ロンドンの倉庫にあった松方コレクションの多くの作品群が火災で焼失。唯一、パリに残されていた約400点がロダン美術館の一角で保管されていましたが、第2次世界大戦末期には敵国人財産としてフランス政府の管理下に置かれることとなり、終戦後のサンフランシスコ平和条約によりフランスの国有財産となるのです。

その後、1953年の日仏文化協定に基づき、松方コレクションは日本へ寄贈返還されることが決まりましたが、フランス政府はその返還条件として、フランス美術を展覧するための新美術館の設置を要望しました。これにより開設されたのが、国立西洋美術館なのです。いわば、国立西洋美術館は、「松方コレクション」という美術作品の寄贈返還を通じて、戦後の日本とフランスの国交回復、関係改善の象徴として建てられた歴史的建造物であり、その設計者として指名されたのが、世界的な建築家ル・コルビュジエでした。

ル・コルビュジエは、1955年に来日し、建設予定地などを視察し基本設計を作成。細部にわたる実施設計は、ル・コルビュジエに師事した前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の3人の弟子が協力して行なっています。