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観光情報

日本の観光施設を巡る
「富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県)」



近年関心が高まっている「産業遺産」として、2007年に世界遺産暫定リスト(文化遺産)に掲載された「富岡製糸場と絹産業遺産群」の魅力と旅のおススメポイントを紹介しましょう。

文明開化の礎の音が聞こえる、日本近代化のシンボル

文明開化の礎の音が聞こえる、日本近代化のシンボル

江戸時代の鎖国政策から一転、明治に入り、近代日本の夜明けを告げたのが、「散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」と歌われた、近代西洋の文明を急速に取り入れて新しい日本をつくろうとした "文明開化"です。そのひとつとして、近代的産業を育てることを目的に、官営模範工場の建設や交通・通信の整備、金融制度の整備などを行なった「殖産興業」政策でした。

「富岡製糸場(とみおかせいしじょう)」は、まさにその先駆けとして、明治政府が1872年、現在の群馬県富岡市に最初に設置した模範器械製糸場です。ヨーロッパの技術と日本独自の工法が融合してできた、当時の世界最大規模の製糸工場は、近代日本を代表する建造物でした。現在も、設立当初の敷地と主な建造物が良好な状態で保存されており、まるで文明開化の礎の音が聞こえるかのような、圧倒的な存在感で訪れる人を魅了します。群馬県内にはこの他にも、レンガ造りの製糸場や養蚕農家群、鉄道施設など、絹産業に関連する遺産が点在しています。

生糸の輸出から、世界を舞台とした産業交流は始まった

開国直後の日本で貿易による外貨獲得の道として期待されたのが、「生糸」でした。江戸時代の8代将軍吉宗の時代から日本のひとつの基幹産業になっていた生糸でしたが、それは、繭(まゆ)からの生糸生産を人の力によって行なうもの。そこで、フランス人ポール・ブリュナを指導者として雇い入れ、ヨーロッパの先駆的な技術を持つ近代的な器械製糸工場を富岡に創設。当時の最新鋭の器械製糸技術は、ここに全国から集まった工女たちの手により、各地へ伝播されていき、各地に富岡製糸場を模範とする製糸工場が建設されていったのです。いわば、日本の産業の近代化は、まさにこの富岡製糸場から始まったと言っても過言ではありません。

≪コレ!知っておこう≫「産業遺産」とは?

富岡製糸場のように、歴史的・学術的に価値の高い文化遺産である旧い工場や鉱山、製鉄所などの産業施設は「産業遺産」」と呼ばれ、近年関心が高まっています。2007年に世界遺産に登録された「石見銀山遺跡とその文化的景観」も産業遺産です。富岡製糸場と同じ繊維産業の工場としては、「ダーウェント渓谷の工場群」(イギリス)や「クレスピダッタ」(イタリア)などがあります。

なぜ、富岡は選ばれたのか?

当時の富岡は、交通の便も悪く、発展していたとは言い難い場所。生糸の産業地としては、武蔵(現東京都・埼玉県)や信濃(現長野県)といった候補地もあり、製品の運搬を考えれば、その2ヵ所の方が良かったのではとも思えますが、結果的に富岡に工場が建設されたのはどうしてでしょうか? それには大きく次の5つの理由がありました。

  1. 富岡付近は養蚕が盛んで、生糸の原料の繭が確保できる。
  2. 工場建設に必要な広い土地が確保できる。
  3. 鏑(かぶら)川、高田川といった水脈が近くにあり、製糸に必要な水が確保できる。
  4. 燃料の石炭が近くの高崎・吉井で採れる。
  5. 外国人指導の工場建設に地元の人たちの同意が得られた。

特に、5番目の理由が大きかったと言われています。当時はまだ「異人に生き血を搾り取られる」といううわさもあった時代ですから、工員を大量に雇う上でも地元の協力なくしてはできなかったでしょう。

上州名物「かかあ天下」が富岡製糸場を支えた?!

そして、富岡製糸場と、その周辺の絹産業遺跡群の楽しみ方として、少し推理を働かせてみたいのが、上州(群馬)名物と言われる「かかあ天下と空っ風」との関係。「空っ風」は、赤城山から吹き降ろす冷たい風のことだが、ここで取り上げたいのは「かかあ天下」の方。群馬の女性はよく働くばかりか、家庭もきっちりと切り盛りでき、しっかり者であることを表したものです。富岡製糸場の生産を支えていたのは、紛れもなく工女たちです。全ての工女たちを富岡で集めることは難しかったようですが、やはりその中心であったことは確か。「異人に生き血を…」と言われた時代に、しっかりものの彼女たちが富岡製糸工場の建設に同意し、協力したことが、ひとつには日本の近代化の礎を築いたのかもしれません。

「めがね橋」を歩き、日本の近代化を支えた鉄道遺産に触れよう

東京都直江津(新潟県)を結ぶ路線(のちの信越線)のうち、横川-軽井沢間11.2kmは、「碓井(うすい)線」と呼ばれ、養蚕・製糸業が盛んだった群馬と長野を結ぶ重要な輸送手段として活躍した鉄道です。この区間は、1,000進む間の標高差が66.7kmという急勾配の箇所があるため、「アプト式」という急な傾斜でも安全に運転できるようにした特殊な鉄道方式が採用されました。碓井線には18箇所の橋梁と26箇所の隧道(トンネル)がありましたが、橋梁の中で最大規模のものが、碓氷川に架けられた第三橋梁、通称「めがね橋」です。この橋は、イギリス人技師パウナルが設計したレンガ造りの4連アーチ型構造で、長さ約91m、高さは約31mあり、200万個のレンガが使用されたと推定されています。新線開通に伴い廃線となったのちは、遊歩道「アプトの道」として整備され、現在は橋上を歩くことができます。