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観光情報

日本の観光施設を巡る
「古都奈良の文化財(奈良県)」


古都奈良の文化財(奈良県)

今から1300年ほど前にあたる710年~784年の間、「平城京」が置かれ、日本の首都として大いに栄えた奈良。一般に「奈良時代」と呼ばれるこの時代は、唐(中国)や朝鮮半島との交流を通して、日本に律令国家としての仕組みが完成し、「天平(てんぴょう)文化」が花開いた時代です。

天平文化は、聖武天皇の時代の元号からそう呼ばれ、天皇を中心とする上層貴族たちが遣唐使などを通して得た東アジアの文化を意識し、誕生させた華やかな貴族文化であり仏教文化です。それは、当時の交通体系から考えれば、驚愕に値するほど活発な交流が大陸との間で行なわれていた証であり、唐に留まらずインド・ペルシャ・アラビアなど西域(さいいき)地方の影響も強く受け、実に国際性に富んだものとなっています。

国宝建造物の東大寺興福寺元興寺薬師寺唐招提寺、そして特別史跡・特別天然記念物に指定されている平城宮跡・春日山原始林の8物件からなる「古都奈良の文化財」は、そのような時代があったことを如実に物語る世界遺産です。それぞれ単体としても非常に価値ある物件ですが、この8物件全体で、奈良時代の中国大陸・朝鮮半島との交流とそこから発展した日本の国づくり様子を、臨場感を持って知ることができる点が、この世界遺産の最大の魅力です。いわば、「古都奈良の文化財」は、時空を超え、現代にあてて出された平城京からの招待状とも言えるもの。その招待を受け、平城京への旅に出てみませんか?

文化遺産
1998年登録
具体的な物件
東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡
該当する世界遺産の登録基準
(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅵ)

シルクロードの東の終着点は平城京だった?!

シルクロードの東の終着点は平城京だった?!

「古都奈良の文化財」には、シルクロードの東の終着点は実は平城京であったことが伺える遺品なども存在しています。752年の東大寺の大仏(盧舎那仏坐像=るしゃなぶつざぞう)の完成を記念して行なわれた大仏開眼(かいげん)では、インド出身の僧が式典を執り行ない、中国、朝鮮半島、東南アジア、さらにはイランやペルシアの人々も式典に参加していたとか。シルクロードへと連なる国際都市として発展した平城京で、日本文化の基となった天平文化は花開いたのです。正倉院の宝物(一部が例年秋の奈良国立博物館「正倉院展」で一般公開)や東大寺・興福寺といった大寺院と仏像を、そうした視点から観察してみましょう。

「平城宮跡」では、"土の下"にも思いを馳せよう

唐の長安の都をモデルにし、碁盤の目のように整然と区画された総面積2,500haの都に、10万人以上の人々が暮らしていた平城京。その中心にあったのが、四方を高さ5mの築地塀で囲み、正門である「朱雀門(すざくもん)」をはじめ12の門を備えた「平城宮」です。ここには、天皇の住まいや、今でいう官公庁が集まっていました。

この平城宮は、都が長岡京から平安京に移った後は田畑になり、長い間忘れられて来たのですが、実はこれが結果的に功を奏します。史料をもとに始まった江戸時代末期からの調査研究やその後の地元民間有志の活動などにより保存整備が進められ、現在では、120万㎡もの広大な宮跡に、朱雀門、東院庭園に続き、国家的儀式の場であった大極殿が復元されています。また、大量に出土した「木簡(もっかん)」と呼ばれる木の札から、当時の人々の生活の様子なども判明しており、そういった資料や遺構を展示・解説する「平城宮跡資料館」「遺構展示館」も見応えたっぷり。さらにおススメが、展望の良さ。奈良盆地を囲む山並み一帯を一望でき、東大寺の大仏殿や二月堂も望むことができます。

ただ、平城宮跡の魅力はこれだけではありません。本格的な発掘作業は1960年からスタートしていますが、調査が終わっているのは全面積のうち、まだ30%程度。現在のペースでいけば、すべての発掘が完了するのは100年後になる可能性もあります。かなり気の長い話ですが、保存技術がもっと発達するまで時間をかけるべきという意見もあり、丁寧に発掘が行なわれているのです。つまり、それだけ多くの貴重な出土品がこの跡地の土の中に眠っているということ。まずはこの地に立ち、すべての調査発掘が終わった後にその全容が明らかになった平城宮の姿を想い、その後、他の登録物件に足を延ばすのが、特におススメの楽しみ方です。

1300年の古都奈良の歴史を彩る7物件

もちろん、平城宮跡以外の7つの世界遺産も見どころたっぷり。

『奈良の大仏』をはじめ3つの"世界最大"が揃い、また"世界の宝庫"とも言われる『正倉院』がある「東大寺」。愛らしい鹿が集う奈良公園にある藤原不比等ゆかりの「興福寺(こうふくじ)」。『万葉集』に登場する約300種類の植物も見どころの「春日大社(かすがたいしゃ)」と、その春日大社の神山である「春日山原始林」。かつて門前町として栄えた奈良町にあり、現在は古民家を利用したカフェや雑貨店などが点在し、タイムトリップしたような町散策が楽しめる「元興寺(がんごうじ)」。西遊記の三蔵法師を宗派の始祖に持ち、その頂骨がまつられる「薬師寺」。唐の揚州に生まれ、日本の朝廷から訪日の招請を受け渡日を決意。12年間・5回の渡航失敗で視力を失うもあきらめず、6回目でようやく日本の地を踏み、天皇を始め多くの人々に教えを授けた鑑真(がんじん)ゆかりの「唐招提寺(とうしょうだいじ)」。

それぞれで、日本の歴史教科書に登場する"実物"と出会い、平城京や天平文化との深い関わりを発見してみましょう。

他に類をみない保存機能を持つ「正倉院宝庫」

東大寺にある「正倉院宝庫」(756年前後の建立)の素晴らしさは、所蔵されている宝物(ほうもつ)が、一度地中に埋蔵され発掘された出土品ではなく、当初から今日まで大切に保管され伝えられてきた物であることです。世界的にみても、1300年前の物で、当時の地図や文書から高度な技術の美術工芸品まで、まとまって、しっかりと倉庫に保存されている例は他になく、「世界の宝庫」と言われるゆえんです。ではなぜ、これほどの保存機能を持つのでしょうか? 正倉院宝庫は、強度とともに風雨や腐食に強いヒノキを部材につくられていますが、さらにもうひと工夫が施されています。宝物がスギの唐櫃(からびつ)に入れられて保存されていることです。スギには、調温・調湿作用がありますが、さらにオゾンや二酸化窒素など宝物を劣化させるような物質を吸着する機能があることが最近になって判明しています。奈良時代に、科学的な裏付けをしていたとは思えませんが、先人たちは経験によって木の性質を見極め、上手に付き合っていたのでしょう。

『古事記』『日本書紀』『万葉集』が生まれた奈良時代

『古事記』や『日本書紀』といった日本最古の歴史書や、日本最古の歌集『万葉集』など、今日まで残される初めての文芸が誕生したのも奈良時代です。